不器用な彼氏
と、ちょうど駐車場に一台、車が入ってきた。それを合図だったように、お互いに自然と離れ、

『そろそろ、帰るか』
『…うん、そうだね』

少し名残惜しいが、仕方ない。もしかしたら、彼もまた同じ気持ちなのかもしれなかった。

珍しく、まだ夢心地の私の肩を抱き、助手席まで誘導してくれる。私が座ったことを確認すると、ドアを閉め、自分も運転席に戻る。

エンジンをかけると、シガーソケットに直接つけてあった、間接照明のブルーのランプが柔らかな光を放つ。その向こうに、彼の姿。

『おい、ボーっとしてるな、シートベルトしろ』

つい、見惚れてたら、叱られる。

『お前、職場でそんな顔見せたら、殺すぞ』
『え?そんな変な顔してる?』

私の問いには答えず、ハンドルを握り一言。

『車出すぞ』

急いでシートベルトを締めながら、現実に戻りつつある頭の中で、ふと今日のメインであるはずのチョコの存在を思い出し、

『あ、いけない。忘れるところだった』

バックから、チョコを取り出し、差し出す。

『はい、バレンタインデーのチョコ。職場でもみんなと渡すけど、これは個人的に』

と付け足す。彼は、忘れていたのか『ああ今日か。悪ぃな』と受け取ると、今度は何かを思い出したように、意味ありげに、フッと笑う。

『何?』
『いや…何でもねぇ』

何でもないわりに、笑ってるのはなぜ?

『何よ?言ってよ』

食い下がると、一瞬こちらを見て

『そういえば、さっきお前、チョコの味したな、と思ってな』
『さっきって…あ!』

カフェで飲んだホットチョコレートを思い出し、みるみる顔が赤くなる。

『…そういうこと言うかな?』
『お前が言わせたんだろ、ボケッ』

通りに出ると、高速に向かうために、左ウインカーを出して、左折する。

恥ずかしさを誤魔化すために、窓の外を見ると、だんだんと遠くなるお台場の夜景。ああ、今日が終わってしまう。急に切なくなり、なぜだか泣きたくなるのをグッと堪える。あまりにも長く私が黙っているのが気になったのか、

『どうした?』

と聞かれ

『ううん、今日一日すごく楽しかったな…って思って』

素直に口に出す。

『ああ』

たった一言だけど、同じ気持ちであることが伝わってくる。

明日からは、また職場の同僚を演じなければならないと思うと、青いランプのすぐ近くにある、ドライブシフトに置かれた彼の手の甲に、そっと触れてみる。カイ君は、一瞬びっくりしたように、こちらをみて、でも、何も言わずに前を見る。

何だか、許されてるような気がして、嬉しくなる。

高速に乗り、首都高湾岸線を横浜に向かって走りながら、何度も今日の出来事を繰り返し思い出し、起きたすべての出来事を、絶対忘れないように…と、心に刻む。
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