不器用な彼氏
しばらく互いに残っていた業務や引っ越しの準備に没頭し、気づけば、時刻は午後7時半過ぎ。

この時間になると、先程まで奥で仕事をしていた社員も、次々に『お先で~す』と、声をかけて帰ってしまった。ほどなくして、ASの夜間対策員が注文した出前が到着し、彼らも食事をとるために待機室へ引っ込んでしまう。

結局、閑散としたフロアには、私と彼だけになってしまった。

『…カイ君』

出来るだけ小声で話したつもりなのに、空間が広いせいか思ったより響いてしまう。

『職場で、その呼び方はよせ』
『じゃあ、進藤さん?』
『なんだ』

お互いカウンターの向きに座り、個々の作業をしながら話し続ける。

『覚えてる?去年の今頃、よくこうして二人きりで残業したね』
『さあな、覚えて無い』
『あれって、本当は私の事、心配してくれてたのかな?』
『違う』

即答する彼。私も負けじと、

『こいつほっとけない…みたいな?』
『良いように勘違いするのはやめろ』
『ふふふ、照れちゃって』
『言ってろ!バカが』

終始、こちらをちらりと見ることもなく、彼は淡々と答えるが、作業を続ける横顔が、微妙に赤みを指しているのを、私は見逃さない。

…こんな穏やかな時間。

通常時間内では絶対にできない会話。
そう考えると、再び、明日から彼の近くにいることができないことを思い出し、ギュッと胸が締め付けられる。
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