【青・超短編】別れの曲
ささやかな賞を取った喉の黄色のオスと兄弟の普通の二羽を譲り受けた。彼らを「のどき」「みどり」と名付けた。
彼らはウーシャやりっぴーより、少し短い求愛ソングしか歌えない竹三と違い、川のせせらぎの様な美しい求愛ソングを別々の籠で競い合い、四羽の寂しさを癒やしていた。


こうして私達は恐怖と戦いながら、仲良く過ごした。セックスレスの私に、交尾を拒絶されつづけた竹三は、私の右手の中におさまり、梅作は私の首の後ろに潜り込んでいた。私達は幸せだった。



ところが、竹三が餌を食べなくなった。私は新家町のダクトリ動物病院に行き、薬を貰いアワやヒエをひと粒づつ、嘴に運び、ラブマンといいながら、必死に彼に餌を与えた。「カッコイい男はたくさんたくさんご飯をたべるんだよ」と話しかけながら、ひるむ事無く何日も何日も彼に餌を与え続けた。


そして彼は更に私を愛する様になり、私に足りない求愛ソングを歌ってくれた。


私はセックスレスなので「気持ちは嬉しいけど、ごめん」と彼に謝って、何度も何度も愛の儀式をお断りし続けた。


すると彼は更に私を愛してくれた。

結果は私が二十七の時に出会った彼は、三十の私を無理やりモノにするのだが、その時まで三年の月日をようする事になる。


その間、家賃とときおりある激しい頭痛問題と屋上にルンペンが住んでた事ときっぱり別れたかつての昼食仲間の同期が後をつけてたので、翁橋町の入口の、天下第一のマンションの三階に夜逃げした。

こうして、かっての市民病院の前を自転車で帰宅しながら「部屋とYシャツと私」を歌う私を卒業した。

それからラジオをかけFM802やkissFM神戸を聞いて、スガシカオの「黄金の月」や斉藤和義の「うたうたいのバラッド」や山崎まさよしの「One more time,One more chance」や我那覇美奈の「TEARS」に出会った。

彼らに特にはまった!

私は亡母と二人カラオケ(セリーヌ·ディオン&クライスラーカンパニーの曲)が楽しかったので、彼らを残して、堺東のジャンカラで原曲キーで一人ライブしてダイエットも兼ね遊んでた。

そしてラブソングを歌う時は必ず、愛の相手を竹三にして愛を一人確かめた。

こうして私はラジオを通して彼らと共に音楽を楽しんだ。

梅作なんかスガシカオの「愛について」で私とよくダンスをしたものだ。


ところが放鳥中、竹三と梅作がバトルをしてしまい
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