副社長は甘くて強引
ハッと意識が戻ったのは、手にしていたスマートフォンが音を立てたから。どうやら私は副社長からの連絡を待っている間に、寝落ちしてしまったようだ。慌てて通話ボタンを押す。
「もしもし」
『俺だ。遅い時間にすまない』
部屋の壁かけ時計の針は午後十一時四十五分を指している。副社長はこんな時間まで彼女と一緒にいたのだろうか。
「いえ。大丈夫です」
ふたりのことを気にしつつ、返事をする。
『早速だが、明日キミは仕事かな?』
「いえ。休みですけど」
ハートジュエリーの販売スタッフはシフト勤務。交代で休みを取っている。今週の私の休みは明日と明後日の二日間だ。
『なにか予定は?』
「なにもないです」
明日は昼過ぎまで寝て、起きたら録画していたドラマを見ようと思っていただけで、用事はこれといってなにもない。
『そうか。それなら午後二時にキミの家まで迎えに行くから』
「えっ?」
突然、しかも強引に話を進める副社長の言葉に戸惑う。
『明日、タイに出発するんだ』
「あ……」
お寿司をごちそうしてもらったとき、十二月上旬にタイへ原石の買いつけに行くことは聞いていた。けれど、出発日は知らされていない。
副社長が出張に行ってしまうと、今日のように街で偶然出会うことはもちろんない。
なんだか寂しいな……。
ふと、ため息がこぼれそうになる。
『キミに話があるんだ。けれどゆっくり話をしている時間は取れない。悪いが成田空港に向かう車の中で話をしたい』
出張の前に私と話したいことって、いったいどんなこと?
本当は今すぐ話を聞きたい。けれど今日は時間も遅いし、なにより忙しそうな副社長に問い詰めることはできない。
「はい。わかりました」
明日、思いがけず副社長と会うことになったのはうれしい。でも、すぐに海外に飛び立ってしまうことは寂しい。
『すまないな。それじゃあ、明日。おやすみ』
「はい。おやすみなさい」
複雑な思いを抱えながら挨拶をすると、通話が切れた。