副社長は甘くて強引

 翌日の午後二時十分、着信を知らせるスマートフォンの音が部屋に鳴り響く。画面に表示されているのは〝樋口副社長〟の文字。急いで通話ボタンを押す。

「もしもし」

『俺だ。今、マンション前に着いた』

「はい。わかりました。すぐに行きます」

『ああ』

 通話を終わらせると玄関に向かい外に出る。そしてエレベーターで一階まで降りるとマンションのエントランスホールを抜けた。しかしマンション前には副社長の車も、彼の姿もない。

 あれ? 副社長はどこ?

 辺りを見回していると、紺色のスーツ姿の男性が私に近づいてきた。

「大橋京香さんですね?」

「……はい。そうです」

「私は樋口の秘書の中林と申します。どうぞ、こちらに」

「は、はい」

 秘書の中林さんは私に一礼すると、黒縁メガネのフレームを右手中指でクイッと上げる。

 さすが、ハートジュエリー副社長の秘書。とても知的だ。

 心の中でそんなことを考えつつ中林さんの後をついていった。中林さんは路肩に停めた黒塗りの社用車の前で足を止めると、後部座席のドアを開けてくれた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 中林さんにお礼を言って車に乗り込むと、後部座席のドアが閉まる。

「すまない。仕事のメールを一件だけ送らせてくれ」

 私に声をかけてきたのは、もちろん副社長。移動中の車の中でも仕事に追われるなんて、彼はやっぱり忙しい人だ。

「はい」

「悪いな」

「いいえ」

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