緋女 ~前編~
大人げなかったと思う。だが図星だった。
彼女に対して余裕がない。
彼女は王子よりは俺が好きと言ったが、どこまで本心なのだろう?
彼女の切なげな表情からは、その言葉が本当かどうかも分からない。
でも、彼女は俺が王子を溺愛していると思っているから、王子に惚れようとは思わないはずで、たぶん望めば彼女は俺が好きだと言ってくれるだろう。
それくらいでちょうどいい。
もともとの予定に戻るだけだ。
でも、満足感に水をさすこの感情は時間と共に広かった。
認めたくない感情。
気のせいだ、
気のせい。
まだ引き返せる。
「俺はお前なんか好きじゃないんだよ」
そう呟いて、我ながら馬鹿だなと思った。
だってそうだろ。
彼女のまぶたにそっと落とした唇の感覚を思い出す。
そんなことをしたのは初めてだった。
色んな夫人の相手をしても、そんなことしたいと思ったこともない。したところで、何も満たされはしない。
でも、いまだに残るその感覚は、自分の中に残っていた温かな感情の片鱗を呼び覚ます。
はっきり言って迷惑だ。
だから、この一日で何度もルール確認を繰り返さなければならなかった。
彼女に惚れてはいけない。
この時点で王子はもう脱落していると思っていい。
だが、彼女を落とさなければ勝ちとは言えない。
「ゴル、シル」
俺は彼女の影を呼んだ。
呼びかけに応じるかどうかは微妙なラインだった。
影は名を知る者に支配されるというが、実際誰かの影を使ったことはないし、他の影の名など知りようがないので呼んだこともない。
俺の呼びかけになんの答えも返らず、デタラメなのかと諦めた時だった。
「どの面を下げて吾輩を呼ぶ?」
その低い声にすっかり油断していた俺は、びくりとして影の姿を探した。
「姫にこれ以上無駄なことを申してみよ、即刻打ち首じゃ」
そんなことを言いながらも応じる二匹の影。
「なに用だ?」
その問いに俺は我に返ると、彼女を起こさないような小さな声でひとつ頼みを伝える。
それを影は嫌そうな声で了承した___。
思えば単純だった感情は複雑化してきている。
だが、俺はこの血濡れた道を最期まで行くと決めた。
そのためなら殺しだってした。
今だけの感情に流されて、このチャンスを逃すなんてあり得なかった。
でも分からないことが俺を不安にさせる。
影はなぜこんな風に彼女を利用するのを許すのか。
それは胸にわだかまったままだった。
だが、無情にも東西の太陽は何もなかったように朝の準備をし始めていた。