緋女 ~前編~
堂々巡りの思考は図書室のドアが見えたところで、一時的に止まった。
「失礼します」
私がそう言って中を覗くと、青年はやはり本を片手にしていた。だがあの時と違うのはすぐにこちらを見たことだ。
「来てくれてたんですね」
それは数時間前私が聞いた彼の声音とは全く違っていた。
落ち着いた雰囲気のするこの青年は、もうあの激情を割り切ってしまったのだろうか。
「はい、聞きたいことがあるので」
その私の言葉に彼は黙って頷いた。それはなんでも聞いていいということなんだと思う。
でも、私の方が言葉が出てこなかった。
聞きたいことはあったはずなのに、本人を目の前にして何一つ言葉にならなかったのだ。
人の想いに簡単に踏み入ることはできない。
いや、前の私だったらそうしたかもしれない。
前の私は、王子の苦労も知らないで簡単に私と同じだと思い込んで、なんなら大した努力もしてないと思って、失礼なことをたくさん言った。
それと同じことだ。
でも、それが出来たのは、まだ母が一番で他はどうでも良かった頃だ。
誰に嫌われようと良かった時だ。
私はちゃんとこの人と分かり合いたい。
「あの、えっと___」
視線が泳ぐ。
夕暮れのステンドグラスの色はとても綺麗で眩しかった。
「すみません」
響いたのは私の声ではなく、凛とした声だった。それでいて優しい声。
きっと、
非女を愛した声。
「私の話をする約束でしたね」
胸がズキンと痛む音がした。
ああ、私はその約束になんと答えただろう。
“忙しくなければ、行きますね”
忙しくなければ、なんて保険のかかった言葉。
それは誰かのためではなく、私のために私が紡いだもの。
でも相手にしたら、なんて無責任でひどい言葉なんだろう。
来るか来ないか分からない人を待つなんて、しかも私は来る気もなかったなんて、笑えない。
でも、彼は今も昔も不確かな約束をするのも、来ない人を待つのも、恐れてはいなかったのだろう。
他者を信じてあげる、その優しさが強さだと誰か知っていただろうか。
私は知らなかった。
「___ごめんなさい」
「えっ」
話を聞く前に言わなければと思った。
「私、ここに来ようと思ってなかった」