緋女 ~前編~
「___もうないのよ」
何を言ってるんだかと白けてから初めて、まともに彼女と目を合わせる。
その緋色の燃える瞳が俺をしっかりと捕らえていた。
馬鹿なはずなのに、またはそういうふりをしているはずなのに、そこに俺は強さを見た。
その瞳から逃げることは不可能。
「私は、私。他の何者でもない」
その言葉の言霊の美しさを前に、俺は言葉を失った。
その言葉は俺の人生にはなかった。
あったらこんなところまで来なかっただろう。
かつての自分に戻りたい。
その願いを誰かを恨むことで正当化して、能力だけ一流になって他を見下した俺。
俺は俺を堂々と認めることが出来なかった。全てを失ったあの日から。
あの日大切なもの全て失った自分は自分じゃないと、いつからかそう思って認めなかった。
悪いことじゃないんだと思う。
けど、いいことでもないんじゃないか?
「私は母に捨てられたの」
彼女も大切なものを失ったと言った。
「だから私も母に教えてもらった名前を捨てる。だから名前はない」
でも彼女はその手に残ったものさえ捨てるという。
彼女とは状況が違う。
失ったものも違う。
俺はそう言い逃れも出来たはずだった。
だが彼女の瞳に囚われた俺はどうかしていた。
「___奇遇ですね。わたくしも名前なんてなかったんですよ。もうずっと長く」
その綺麗で強い瞳に弱い自分を映したくない。
そう思った。