僕らはきっと、あの光差す場所へ


はー、とため息をこぼすと、横で橘がクスクス笑った。なんだよ、と橘の方を向くと、僕を見上げながらさらに笑う。


「春瀬なんて、授業中寝てるとこさえ見たことないのに」

「……今のは不可抗力」

「ははっ、おっかしいよねえ。ふたりしてこんなとこで寝ちゃって」

「疲れてたんだよ、しょうがない」


橘が立ち上がって、今度は両手を真上にあげた。体を大きくのばしたあと、スカートと腰に巻き付いた僕のカーディガンを綺麗に整える。ついでにポニーテールほどいて縛りなおす。揺れる長い黒髪が、差し込む光に反射して光った。


「……隼人ともよく寝てたなあ、ここで。話してるとふたりとも疲れちゃって。気づいたら夜なんてこともよくあった」


 懐かしい昔話をするみたいに、橘がしゃがんでソファをなでた。

 さっきまで自分が寝ていた場所が、本当は唐沢の物だと思い知らされる。橘の指先が大切そうにソファをなぞっているのを見ながら、ところどころにできたシミが涙の痕のように感じた。


 こんなことを今更考えるのはどうかと思うけれど、ここで過ごしたふたりの時間は、どんなものだっただろうか。


 橘が通常過ぎて何度も忘れかけてしまうけど、誰よりも大切な恋人が消えたんだ。こんな思い出深い場所にきて、何も思わないわけがない。当たり前だ。どうして気づかなかったのだろう。本当は橘だって、傷ついていることに。


そして、どうして気づいてしまったんだろう。
彼女の細くて長い指先が、震えていることに。


 少しだけ震えた、ソファをなぞる指先。ゆっくりとすべりおちるようなその動作は、まるで本当に大切な物を扱うようで、僕はどこからかこみ上げてくるものをグッとこらえた。

 当たり前だよな。僕には到底わかりやしないけれど、好きな人が突然消えたんだ。橘は変わっているし無駄に明るいけれど、動じないわけがなかったんだ。当たり前だ。どうして今更こんなことに気づいてしまったのだろう。どうして今まで気づいてやることが出来なかったんだろう。

 もしかしたら橘は、ずっと、いろんなものを抱えて押し込んで、唐沢への想いも箱にしまって、『いなくなった』ことを飲み込むためにこんな馬鹿げたことをしているんじゃないだろうか。『捜す』なんていう建前でしかないことを、思いついたんじゃないだろうか。

———クラスの中で一番、関わりもなかった僕を連れて。

都合がよかったのは、学校を抜け出すのに最適なのが成績が優秀な僕だったからじゃない。きっと、何も知らない、何も関係ない僕のような人間となら、一番『いなくなった』ことを飲み込むことが出来ると思ったんだ。


 後ろから声をかけることもできずにただ、彼女の背中とすべる指先を見つめることしかできない。なんて情けないのだろうと思う。今まで人と関わってこなかった僕は、こんなときにかける言葉すら何も思いつかない。

国語の成績がよくても、人間観察をよくしていても、何の意味もない。人の気持ちなんてわからないし、関わり方も慰め方も、僕は何ひとつ、知らない。

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