幸せに負けてください
 
 
 
 
 
 
以来、その男の人は常連様となった。何度目かの来店で、風間ですと名乗ってくれ、姓を知る。


あの悲しい顔は最初だけで、一年経った現在に至るまで見たことがない。レア、というやつだったんだろう。風間さんのデフォルトは、人当たりのいい笑みを浮かべている。鎧のようなものだと笑っていた。


アルコールを注文されることはなく、窓際のソファ席からカウンターに陣取るようになり会話をするようになってから、その理由を知る。一杯飲み干せないほどに弱いらしい。


いつもどおり、カフェオレに添えたチョコレートを口内でゆっくり溶かしながら、風間さんは安堵したようにふにゃりと微笑む。そんな表情はどうやら私しか店の人間では知らないらしい。


「じゃあ、今夜は帰るよ」


「はい。お気を付けて下さいね」


「すぐそこだからそれは大仰だなあ」


今から風間さんは、エレベーターで少しだけ降下し、このホテルの何処かの部屋に宿泊する。残業で疲れているとき、そうするようになったらしい。決まって、その夜はここにも来店される。


有名企業が並ぶ近隣の何処かで働く風間さん。帰れないならネットカフェが一択の私でなくとも、残業が理由でここに宿泊するのは贅沢なことだと思うだろう。一度両親が宿泊した際に覗いた部屋は、お手頃価格でも私には高価なものだった。もう少し便利な場所に引っ越せばいいのではと問うたら、なんだか困った顔をされてしまった。


「ぼくがここにくるのは迷惑?」


「っ、そんなことは露程も思っていませんっ」


「そうか。なら良かったよ」


また、ふにゃりと微笑むものだから、それ以上この会話を続けることを放棄した。
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