そのホテルには・・・
深夜のティータイム
「お席のご用意が出来ました。」
ペンを置くのを見計らったかのように、マネージャーに声をかけられる。
わたしは立ち上がり、紙を彼に返した。
そして、ホテルのさらに奥へと進んでいく。
フロントのすぐ傍に、ゆるやかにカーブを描きながら二階へと続く階段がある。
その階段には昇らずにさらに進んでいくと、六角形を半分に切ったような、三面に広がる壁にぶつかる。
壁に沿うように棚が置かれ、そこには様々なボトルが並べられていた。
棚の前には、がっしりとした素材で出来た木のカウンター。
その向こう側から、若い男性がわたしに会釈した。
このバーはホテルのご自慢のひとつ。規模は小さいが、本格的なカクテルが味わえるのだ。そのせいか、夜が更けてもシェイカーの音が響いている。
壁の高い位置にはめこまれたガラスを通して、月が見えた。
スポットライトのように、青白い光がカウンターに降り注いでいる。
「どうぞ。」
バーテンダーがにこやかに指し示す椅子に座ると、わたしの前にさっと皿が置かれた。
同時に背後で、ガラガラというワゴンの音が響く。
音が近付くにつれて、わたしの胸は高鳴った。
ワゴンを押してきたのは、口元に白ひげを蓄えた男性だ。
彼はホテル専属のシェフで、朝食・昼食・ディナーにティータイムに至るまで、全ての料理を手がけている。
お客と視点を合わせて料理を提供したい、という想いから、シェフ自ら料理を持ってくるのである。
「本日はほんのりとラズベリーを利かせたホワイトチョコレートケーキです。」
わたしの斜め後ろにやってきたワゴンの上には、輝くように白いホールケーキが置かれていた。
丁寧にデコレートされたケーキの表面には、細かく削ったホワイトチョコレートが雪のように降り積もり、背面は丁寧に絞りだされた生クリームが縁取られている。
ふわりと鼻孔をくすぐる甘い香りに、満腹なはずなのに食欲が目覚めていく。
シェフが長いナイフで切り分けていくのを横目で見ながら、心の中で子供のように「もっと大きく!」と願った。
その間にバーテンが、挽きたての豆で丁寧にコーヒーを淹れてくれた。
苦味が強いのが好み、とちゃんと分かっているところが嬉しい。
香ばしい珈琲の香りに包まれながら、ゴクリ、と喉を鳴らした。
銀色のフォークをケーキに落とすこの瞬間が、一番どきどきする。
スポンジも、その間に挟まれたクリームも、すべてが乳白色をしている。まるで雪をすくっているようだ。そしてそれは、見た目だけでなかった。手の平に舞い降りた氷の結晶のように、ケーキは舌の上でふわりととろけた。
しっとりとした甘みが広がっていく。その後に追いかけてくる、カカオ独特の苦味。
思わず、歓喜の溜息をもらす。
口いっぱい頬張りたい気持ちを抑え、ゆっくりゆっくり時間をかけていただく深夜のティータイム。
出てくるケーキもさることながら、この時間そのものが「ごちそう」だった。
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