古の姫君


「リディア様、容易に起き上がりますと、お身体に支障をきたしますよ。」


そう言われた途端、背中に鋭い痛みが走ったのを感じた。
夢ではない。あの高さから自分が落ちた事は本当だったのだ。
次々と摩訶不思議な事が起こるものだから、リディアは自分がどんな目にあったかをすっかり忘れてしまっていた。
自分の腕を視界に持っていくと、真っ白な包帯に包まれた肌が目に入る。
普通あの高さから落ちてしまえば恐らく、いや確実に一瞬で死に至るというのに、これだけの傷で済むとは、一体どういう事なのだろうか。
ついにリディアは頭の中に浮かべていた中の2つの疑問を口に出した。


「あの、此処は一体何処なんですか?それに、何故貴方達は私の名前を…。」


アベルは白髪の髪を揺らして軽く頷くと、ベッドの前にあった椅子に腰かけた。
それを間に挟むように、少し後ろにジオラルドとエマが並ぶ。
アベルはにこやかな表情から一転、真剣な顔つきになり、リディアは今の事態はそんなに軽々しいものではないんだと改めて認識する。


「えぇ、我々はその話をする為に丁度部屋へ訪れました。リディア様、今の質問ですが、まず初めに、此処が何処なのか、と仰いましたね?此処はバレンシア国にある王城の一室。そして私の右側…いえ、リディア様から見て左側にいるジオラルド殿はバレンシア国王宮第1騎士隊”シルヴェール”隊長、そして、右側にいるエマ殿は第2騎士隊”トリスタン”隊長です。」
「……。」


イギリスやスペイン。リディアは心の中でその国名が出ることを願っていたが、やはり案の定彼が口にしたのは見ず知らずの国だった。
アベルの説明を聞いて、エマ達はなぜ甲冑を身にまとっているのかという謎は解け、少し頭のなかが軽くなった。


「リディア様、目覚めてすぐこのような話をするのは無礼なことと存じますが、これもリディア様の為、どうかお許しくださいませ。…恐らくリディア様はバレンシアという国は聞いたことはないでしょう。それもそのはずです。ならば、マクイルなら、ご存知でしょうか。」
「マクイル…。」


聞いたことがない。そう言おうと思った。
だがマクイルという言葉を知らないと嘘をつくには、あまりにも罪悪感が大きすぎるとリディアは感じた。
確かに、5歳の時に記憶障害を起こしたが、何もかも全てを忘れた訳ではない。
自分がマクイルという場所で生まれた。それだけは覚えていたのだ。
中学生に上がった頃、何度もその名前の場所を調べていた事があった。
インターネットや世界地図、しかしどれを見ても何を見ても、それといった地名はどこにも見つからなかった。
不自然に消えた記憶。自分は本当は別の世界の人間なんじゃないかと、ファンタジー小説を読むたびにそう感じていた。

マクイルという言葉を聞いた途端、不思議なことにここは異世界なんだとアッサリ認識してしまった。


「知ってる…。えぇ、確かに、知ってるわ。」


一言目はアベル達に言い聞かせるように、二言目は自分の心に言い聞かせるように同じ言葉を繰り返した。
まさかとやっぱり。2つの感情が混合したような目でジオラルドとエマはお互いの顔を見合わせこくりと頷いた。
まるで疑いが確信に変わったかのように。


「…でも、知っているのはそれだけ。私は他には何も覚えていないの。ねぇやっぱり、ここは私の元いた日本…いえ、地球ですらもないのよね?」
「はい。残念ながら。」
「…私は、やっぱり、あちらの世界の者では、ないのね。」


幼い時から薄々感じていた事だが、改めて実感するとやはり困惑してしまうものだ。
自分を落ち着かせようとゆっくり喋ったつもりだったが、どうも言葉がうまく出てこず、まるでノイズのかかったラジオのように途切れ途切れになってしまう。


「…私が一体何者なのか、貴方達は…知っているの?」
「はい、リディア様。」
「そう…。」


自分の正体を問い正すにはやはりまだ決心が足りないのか、リディアは一瞬出しかけた言葉を一気に飲み込んだ。
そんなリディアの心情を察したのか、アベルはゆっくりと椅子から立ち上がると、再び感じのいい笑顔を見せた。


「詳しい話はまた後日にしましょう。本日はゆっくりお休みください。」


その言葉を最後にアベル達は軽くお辞儀をすると、音もたてずに扉を閉め出て行った。
あまりにもあっけなく知った異世界という自分の本当の生まれ故郷。長年心の中に立ち込めていた靄が少し晴れたような気がして、包帯を巻かれた自分の腕を見つめながらリディアは安堵の息を漏らした。
自分はこれからどうなるんだろう。そんなことを思いながら明るい陽の光が差し込む窓の外を見つめた。

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