聖夜にセレナーデ
ポケットから出てきた彼の手には、小さな四角い箱が乗せられていて。
彼の手によって開けられたその箱の中央には、光る一粒の宝石のついたリングがはめ込まれていた。
彼は、私の眼の前で、涙に濡れた私の左手を優しく包み込み、薬指にキスを落とした。
そこにゆっくりと光るリングを嵌めてくれる。
「よかった、華波の薬指に嵌めれて。」
少しだけ照れた様子で、そう言った彼の輝く笑顔が、私の心に深く刻まれる。
「何よそれ、もう本当に私待ったんだからね!忘れられたんじゃないかって、凄く落ち込んでたんだから。」
一言いってやろうと笑いながら言う。
「俺が華波の事忘れるわけないだろ。」
「だって、ショパコンで優勝したから、てっきり帰ってきてくれるって思って信じてたのに、帰ってきてくれないんだもん。」
「ああ、ごめんな。
男として成し遂げなきゃならない事がまだ出来てなかったから。」
はあ?何よそれ!
「ショパコンで優勝する事より価値のあるものなんてないよね?!」
意味がわからない。
「価値があるかは分からないが、ショパコンで1位とるよりも大切な事が俺にはあったから、それが出来るまで帰れなかったんだ。」
そんなこと、あるの?
ピアニストの登竜門とされる国際コンクールで一位を獲るよりも大切な事?
「お前、自分が言ったこと忘れたのか?」
「私が言ったこと?」
疑問を口にすると、彼は大きく頷いて続けた。
「華波、幼稚園の頃、世界中を旅していろんな国の人と仲良くなりたいって、そう言ってたんだ。
だから、国際コンクールで一位をとって、リサイタルで世界中を回ってある程度実績を積んでから迎えに行こうと思った。
華波を危険な目にあわせたくないから、言語もある程度喋れるようにならなくてはいけない。
お金がかかるから、スポンサーがつくくらいのVIPにもならないといけない。
そうすると、俺の世界ツアーに華波を連れて行けるだろ?
コンクール終わってから1年間で実績あげれたからよかったよ。結構大変だったんだからな。
…待たせて悪かった。」
「…貴方って人は…。」
何でそんなに私のために昔から無茶ばかりするの?
「世界一愛してるから。」
何も言えなくなって号泣する。
''私も愛してる''
嗚咽で声は出なかったけれど、口パクで必死に伝えると思いっきり抱きしめられる。
一度離されて、涙を拭ってくれた彼に、そのまま引き寄せられた。
10年ぶりの唇に感じる暖かさ。
久しぶりの感覚だったけれど、私の脳みそはすぐに反応したみたいで、体が火照ってくる。
キスは次第に深くなる。
もっと欲しい。
そう思うけれど、彼が止めてくれた。
そのまま抱きしめられる。
ここ、職場だった。
恥ずかしすぎる。
私明日から働けるのかな?
「ごめん春妃、ここ職場。」
「ああ、大丈夫。」
大丈夫って、
「大丈夫じゃないでしょ。」
抱きしめられたまま押し問答を繰り返していると、
「林道様、こちら客室の鍵です。
どうぞ、ごゆるりとおくつろぎください。
それと、渡瀬さん、今日はもう上がっていいよ。お疲れさん。また明後日からよろしくね。」
チーフの声が聞こえた。
驚いて春妃の顔を見上げる。
「ああ、これ全部打ち合わせ通りなんだ。
部屋も取っておいたから、いくぞ。」
「えええー!ま、まさかのサプライズ?」
「ああ、半年前から予約していたよ。」
「嘘でしょ。」
「本当。」
それでも疑ってしまい、チーフの方を見ると、ニコリと笑われた。
「本当ですよ。貴女に林道様の応対をするように仕向けたのも全て作戦です。
ですよね、林道様。」
「はい。
ありがとうございました、助かりました。」
「いえいえ、こちらも、やっと渡瀬が結婚できると聞いて安心しております。
おめでとうございます。
渡瀬様、今日は1人のお客様としておもてなしさせていただきますね。」
チーフの普段の厳しさをしっているから、いつものお客様に向けられる微笑みが私に向けられていると思うと恐ろしい。