何よりも大切なモノ
風が止むまで、時間にしてどのくらいかかったのか。

数秒か、十数秒か、数十秒か――

亜美は目を閉じ、時間の感覚もその他すべての感覚もそっちのけで、とにかく心を落ち着けることに努めていた。

そして「よし」と目を開いたとき、図ったかのように、風も止んだ。

「いたんだね、好きな人。誰なの?」

優しく問いかけた亜美に対し、弥生は目だけを伏せ、躊躇いがちに唇を動かした。

「うん……えっと……絶対誰にも言わないでね。相手にも」

「もちろん。言わないよ、約束する」

そう言いながら、弥生がこれだけ念入りに口止めするのも珍しい、と亜美は思った。

いや、珍しいも何も、初めてじゃないかと。

弥生にはこれまで、少なくとも自分と話す上では、後ろ暗いことなど何もなかったに違いない。

冗談のように「秘密だからねー」と言われたことはあるだろうが、その程度だ。

自分もそうで、弥生には何でも話し、その中で二人の秘密にしておいてほしいことは自然と察してくれたし、察してくれると自然に思えた。

昔から男っぽく、恋とは無縁だった自分が翔一と付き合い始めたとき、恥ずかしいのを我慢して弥生には一番に報告した。

そして弥生は、何も言わずともそのことを決して口外しなかった。

自分が恥ずかしがっていることを察してくれたからだ。

結局、一ヶ月と経たない内にデート現場を例の桜達に見られ、クラス中に知れ渡ることになったのだが。

そういう風に、二人の間には絶対の信頼関係があったから、改めて「誰にも言わないで」などと言われると少し胸がざわつくが、今は考えないようにした。

どう見ても、今の弥生は普通じゃないからだ。

『相手にも内緒』というのも、今は置いておく。

「弥生、大丈夫だよ。絶対に誰にも言わないから。教えて」

一度約束したにも関わらず、なかなか口を開こうとしない弥生に、亜美が言った。

後押ししてほしがっていることが、はっきりと伝わったからだった。

すると案の定、弥生は少しほっとした表情で口を開いた。

「うん。あのね、同じクラスの、滝沢佑樹君」

滝沢佑樹――

同じ学校の、しかも同じクラスというのにも驚いたが、その名前には更に驚かされた。

滝沢佑樹というと、亜美にとっては姿を思い浮かべるのも苦労するような人物だった。

まず、自分の席に座って本を読んでいる、その輪郭だけが思い浮かぶ。

そこへ、髪型と無表情な顔だけが乗る。

それでお仕舞いだった。

目の大きさや鼻の形など、細部はどうしても思い浮かばない。

他には細身で標準的な身長という、全体のざっくりとした体型と、物静かで暗い印象だけが思い浮かぶ。

唯一、弥生に関心を示さないクラスメイトで、知る限り弥生との接点は皆無だった。
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