幸福に触れたがる手(短編集)
かざらぬ恋は嘘だらけ
【かざらぬ恋は嘘だらけ】
おまえといてもつまらない。張り合いがない。可愛げのないおまえとこの先ずっと一緒にいるメリットがない。
そう言われて、三年付き合った恋人に振られた。
つまらなくて張り合いがなくて可愛げがなくて一緒にいるメリットがないらしいわたしと三年も一緒にいた彼は、お人好しか不感症かドMだと思う。が、アラサー女子、見事フリーになって、もう仕事を恋人にするしかない。
この年になると同級生は続々と結婚していって、なんなら子どもも二、三人いて。親や親戚からの結婚しろオーラも凄くって、実家から足が遠退いてしまう。
別に二十代のうちに必ず結婚しなくてはならないという法律はないわけだし、しばらくひとりでのんびりしよう。
そう思っていた、年の瀬のこと。
会社の忘年会で飲み過ぎて、ぐずぐずで帰路についた。
電車に揺られているうちに気分が悪くなってきて、失恋直後の忘年会だからといって調子に乗り過ぎたなと反省する。
駅から自宅マンションまでの徒歩十分をふらふら歩いていると、同じようにふらふらと歩く背中が見えた。
おや。あのお兄さんも忘年会帰りかな。お仲間お仲間。わたしよりだいぶふらふらしているけれど。
ぼんやりとその背中を見ていたら、お兄さんは急に立ち止まって道端に蹲る。
あれ、吐く? 吐いちゃう?
慌てて駆け寄ると、お兄さんは驚いた顔でわたしを見上げた。
「大丈夫ですか?」
「……酒くさ……」
「お兄さんこそ、お酒くさいですよ」
「あんたほどじゃ……うっ……」
そろそろ限界が近いのか、口を覆って俯くお兄さんの背中を擦ると、今度はわたしが「うっ……」と蹲る番。
でも初対面の男性の前で吐くのはアラサー女子として絶対ダメな気がして顔を背けると、お兄さんが背中を擦ってくれた。
「吐きそうになるくらい飲むなよ……」
「お兄さんこそ、人のこと言えないじゃないですか……」
どうにか吐き気が治まって見上げたら、予想以上に顔が近かった。
ぱっちり二重の目に、すっとした鼻筋。頬骨が浮き出るくらい痩せているけれどとにかくイケメンで、思わず見惚れてしまったら、お兄さんはふっと笑って「なに、見惚れてんの?」と。見透かされている。
「……自意識過剰ですよ」
「見惚れたって素直に言やあいいのに」
「見惚れてましたって言ったらどうするんですか」
「だろ、って返す」
「自信家なんですねえ……」
さらに顔が近付いて、後頭部をおさえられた。
そんなこそしなくても、逃げないのに。
お酒のにおいがする息がかかって、唇が触れた。身体はすっかり冷えてしまっているけれど、触れた唇から首筋、首筋から胸へと熱が広がっていくような。不思議な感覚に陥った。
まさか知り合って数分の、名前も知らない男と道端でキスをするなんて。
お酒の力は凄い。新年会もあるみたいだから、次は気を付けて飲まないと。
でも、くらくらするのは、もうお酒のせいだけではないはずだ。
そんなことを考えながら、お兄さんの細い腰に腕を回した。
身体を寄せると、お酒のにおいに混じって、ふわりと柔らかい香りがした。
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