幸福に触れたがる手(短編集)
「わたしは何でもいいんですよ」
「部屋でごろごろでも?」
「はい。なんならお昼寝でも、掃除でも、洗車でも。台本チェックとかしてもらっても大丈夫ですよ」
「……それただの日常じゃん」
「違いますよ」
よく意味が分からないけど……。首を傾げれば、彼女はにっこり笑って、ぼくの胸をトンと突く。
「野上さんと一緒なら、何をしようが楽しいんです」
「……」
ぼくは彼女のことを、何にも分かっていなかったみたいだ。
ぼくだって同じ。
ぼくだって彼女と一緒なら、何をしていたって楽しくなると思う。
にゃん五郎とじゃれている楽しそうな顔を見ているときも、隣に座ってただゲームをしているときも、幸せだった。
「にゃん五郎もそう思うよねー、ねー」
ぎゅうと抱きしめられたにゃん五郎は、苦しそうな声を上げたけれど、この数時間ですっかり心を開いたようで、その表情は嬉しそうに見えた。
「ぼくも、碧ちゃんと一緒なら楽しいよ」
「ありがとうございます」
彼女は照れくさそうに笑って、ごろんと床に寝転ぶ。
ぼくも並んで寝転んで、愛猫に手を伸ばしたけれど、にゃん五郎はふいとそっぽを向いて、彼女の胸の上で身体を丸めた。
数年間一緒に暮らしているぼくよりも、彼女を選んだみたいだ。フラれてしまった。
それに気付いた彼女がこちらに手を伸ばしたから、ぼくはその小さな手を力いっぱい握った。
もう少しこうしていたら、一緒にごはんを作ろう。
彼女と一緒に食べるなら、きっといつも以上に美味しい。
ああ。幸せだ。
(了)