幸福に触れたがる手(短編集)
キッチンに並んで立って、ひたすら餡を皮で包んだ。
気分を紛らしたいときは無心で料理を作るのが一番、というのが、茉莉ちゃんの持論だった。
だからこそ、無心で作業することができる餃子。学生時代から、むしゃくしゃしたり落ち込んだりすると、よくみんなで餃子を作った。
無心で作った大量の餃子を食べながら、みんなで楽しくおしゃべりする。そのあとぐっすり寝るだけで、悩みなんてすぐに忘れてしまっていた。
他愛のない雑談をして、大皿二枚を餃子で山盛りにした頃。チャイムが鳴ったから、リビングで寛いでいた啓二くんに出てくれるよう頼んだ。
啓二くんは「勧誘ならびしっと断ってやるよ」と軽快に玄関に向かう。
「勧誘が来たとき、家に男の人がいるといいね」
「ほんとそう思う。この間すごく粘る勧誘が来たとき、ちょうど帰って来た啓二がうちの嫁さんに何か用? ってね」
「惚気惚気」
平和な雑談はここまで。
玄関の方から「うわっ!」という啓二くんの情けない悲鳴が聞こえたから「平気平気」と平和な声で言う茉莉ちゃんをキッチンに残したまま、包みかけの餃子を持ってそちらに向かう、と。
啓二くんが胸倉を掴まれていた。
掴んでいるのは、背の高い男性。髪をオールバックにして、黒いスーツ姿。夜だというのにサングラスをかけている。一見すると、柄の悪い、危ない仕事をしている人だ。
「け、啓二くん……!」
わたしの声に、啓二くんは胸倉を掴まれたまま「ひらさわぁぁ」と情けない声を出した。
でもなぜほんの一分でこんな状況になっているのだ。全く意味が分からない。
「おい千穂! 誰だよこいつ! お前浮気してやがったのか?」
啓二くんの胸倉を掴んでいた、柄の悪い男性――柳瀬さんは、さすがは役者さんというドスのきいた声で言った。
この騒ぎにさすがの茉莉ちゃんも駆けつけ「あんた何やってんの!」と、手にした餃子を柳瀬さんに投げつけた。
柳瀬さんは啓二くんの胸倉を右手で掴んだまま、左手で上手に餃子をキャッチした。
「あの、とりあえずみんな落ち着いて! 説明しますから、柳瀬さんも手を離して中入ってください!」
言うと柳瀬さんは不機嫌な顔のまま、啓二くんの服をぱっと離した。
ようやく解放された啓二くんは、完全に危ない人を見るような怯えた顔をしていた。