幸福に触れたがる手(短編集)
久しぶりに訪ねて来た柳瀬さんが、なぜものの一分で啓二くんの胸倉を掴むに至ったか。
それはドアを開けた啓二くんが、柳瀬さんを見るなり怪訝な顔をして「うちの嫁さんに何か用?」と言ったかららしい。
啓二くん曰く「平澤の関係者とは思えない風貌だったから、危ない勧誘か無理矢理言い寄る男だと思った」とのこと。
恋人の柳瀬友佑さんだと紹介すると、茉莉ちゃんと啓二くんは平謝りだった。
「まさか千穂の恋人だとは思わなくて……。餃子投げつけてごめんなさい。啓二は勧誘の撃退によくうちの嫁さんという言葉を使っていたので、今回もそのノリでつい言ってしまったのかと……」
「俺たちは学生時代からの友人ですが、俺とこの茉莉は先週から同棲していますし、平澤との浮気なんて絶対にないので、どうかご勘弁を……!」
ちらりと柳瀬さんを見ると、彼はサングラスを外してふっと笑い、ふたりに向かって頭を下げる。
「俺もいきなり胸倉掴んですいません。彼女となかなか会えなくてずっと苛ついていて、ようやく会えると思って来たら、うちの嫁なんて言われたのでつい。これからも千穂と仲良くしてやってください」
「いえいえ、こちらこそ!」
「平澤とは絶対にふたりで会いませんから!」
ぺこぺこと頭を下げ続ける三人を見たら、なんだかほっとした。
落ちていた気分は、すっかり平静を取り戻していた。