幸福に触れたがる手(短編集)
朝、目を覚まして、時刻を確認しようと枕元を探る、と。目覚まし時計よりも携帯電話よりも先に、誰かの体温を見つけた。
ああ、そうだ。ゆうべ知り合ったお兄さんと、一夜を過ごしてしまったんだ。
名前はたしか……篠田さん。良かった、ちゃんと憶えていた。忘れていたら罰ゲームという話もしたはずだ。
避妊具を全部使って、シャワーを浴びる体力すら残らないくらいひたすらお互いを求めて……。
頭が冴えてくるにつれ記憶が呼び起され、恥ずかしさを感じていた、が。
隣に視線を向けてぎょっとした。恥ずかしがっている場合ではなかった。
篠田さんはうつ伏せになって、後頭部にわたしの枕を乗せている。普通うつ伏せに寝るときは、顔を横に向けて呼吸をするだろうけど。篠田さんは完全に顔をシーツに埋めている。これじゃあ呼吸ができない。
「ちょ、ちょっと篠田さん! 生きてますか!?」
慌てて肩を揺さぶると、彼はがばっと勢い良く顔を上げる。良かった、生きてた……。
「何? 何かあった?」
「いや、完全に顔を埋めていたので、息をしているか確認を……」
「ああ、俺いつもこうだから」
いつもこんなに恐ろしい寝方をしているらしい。ちゃんと呼吸できているのかしら……。
はらはらしながらお兄さんを見下ろすと、彼はふはっと笑って仰向けになり、わたしの頬を優しく撫でる。
「慣れろよ。寝るたんびにいちいち不安がってたら寿命縮むぞ」
「はあ、はい……」
慣れろ、ということは……これからも同じベッドに入るのだと解釈してもいいのだろうか……?
酔っ払った男女の、一夜限りの火遊びでは、ない……?
「そういえば名前、ちゃんと憶えていましたよ。篠田亮太さん」
「お。よく憶えてたな」
「わたしは華麗に罰ゲーム回避です。篠田さんは?」
「俺は記憶力良いって言ったろ。一宮知明。忘れねえよ」
からかうようにぺしぺしと頬をたたいて、篠田さんは優しい笑顔を見せる。
その顔に一瞬見惚れ、それを隠すようにベッドから抜け出た。
とりあえずシャワーを浴びてすっきりしたら、朝食の用意をしよう。罰ゲームにしなくても朝食くらい作るという約束だった。
今日から年明けまでお休みだから、しっかり朝食を食べてみよう。
そう思った。のに。