memorial Rain
明らかに大丈夫そうには見えない。
無理した笑顔が、僕の心に暗雲を運んだ。
でも、彼女が大丈夫だと言うのなら…心配し過ぎも良くない。
先ほどの一冊以外の二冊を確認して渡した。
一冊は、強すぎる力を忌み嫌われた魔法使いが、姿を隠して暮らし、とある女性と出会い恋に落ちる恋愛ファンタジー。
もう一冊は、時間を止める力を持つ少年の葛藤や喜び、青春を描いた物語。
先ほどの本の何が彼女にとってNGだったのか分からない以上、確認したところで無意味なのは分かっていた。
踏み込むべきか、踏み込むべきではないか、2つの選択の間を右往左往する僕は、誰に言われなくても分かる、意気地なしだ。
俯きがちだった彼女が、その瞳に意思を宿して僕を見つめた時思い出したのは、彼女と出会った時に見た虹だった。
「……やっぱり話す」
「……」
「隠しごとは、良くないもんね」
困り眉で笑う彼女は、先ほどよりもどこか清々しい表情をしていた。
思わず心配になって、僕の方が尻込みする。
「無理、してるよね」
「うん、でも無理しなくちゃ」
「わかった、心して聞くよ」
彼女の言葉を受け止めるべく、僕は深く頷いた。
彼女は一瞬、ふっと微笑むと、改めて口を開いた。
「単刀直入に言うとね、その本の主人公と自分の境遇が重なって辛くなったの」
「主人公って…」
物語の主人公には母親がおらず、男手一つで育ててくれた父親から、ある日再婚を告げられる。
再婚相手の女性には、2歳になる息子がいた。
始まった共同生活は、やがて主人公にとって大きなストレスとなり、主人公は一人家を飛び出してしまう。
「……私、もうすぐ一人ぼっちになる」
彼女は諦めたようにぽつりと呟いた。
肯定も否定も口に出来ない僕は、ただ、確認の言葉を投げかけた。
「お母さん…再婚するんだね」
こくりと、一つ頷いた彼女はより一層寂しそうに眉を下げた。
彼女の父親は彼女が中学生の時に亡くなり、それからは物語と同じように母親に育てられた。
彼女は今、母親のいる実家から大学へと通っている。
「新しいお父さん…お母さんよりちょっとだけ若くてかっこいいんだけど、独身だから、この主人公とは少しだけ違うんだけどね…」
彼女はそこで一拍置いて、息を吸った。
「正直居づらいから、そのうち家出するかも。想太くん泊めてね」
少し冗談めかして言う彼女。
僕にはそれが、何かに耐えているように見えて、胸が締め付けられた。
「いつでもおいでよ」
「ふふ、ありがとう」
逃げ場になる以外何もしてやれない自分が嫌いで。
こんなとき気の利いた言葉一つかけてやれない自分が大嫌いになった。
彼女の現実を変えてやれるほどの力も何もかも、今の僕には足りない。
好きな人を支え切れない、自分にとって初めての歯がゆさだった。
せめて、話題を変えよう。
たとえばさっき流れたあの話とか。
「…あのさ…夕雨、さっきの話、なんで雨が好きなのかってやつ」
「あぁ、さっきの」
「それの話しよ」
「いいよ。いい機会だし、色々と暴露しちゃおうかな」
やっと彼女に、いつものえくぼが戻って、ほっとした。
やっぱり君には、微笑みがよく似合う。
落ち着いたら、ふとコーヒーの存在を思い出して手を伸ばした。
「想太くんが好きだからだよ」
「ぶふっ、!?」
あまりにもサラッと発せられた言葉に、口に含んだコーヒーを吹き出しかけて、目を白黒させてしまった。
これは、からかってる…?
いつもの調子の彼女に戻ってくれたのはいい。
いいんだけれど、そういきなり戻られてもちょっと困る。
ニコニコする彼女に、口元をナプキンで拭きながらやや引き攣ったような笑みを返した。
「想太くんて、雨の日だけバスに乗ってたでしょ?だから、想太くんを好きになって、気づいたら想太くんを見られる雨の日が好きになって、雨も好きになったんだよ」
「そうなんだ…」
「青い傘が好きなのは、想太くんはいっつも青い傘持ってたから」
「あれ、そうだっけ…」
そうだよ、なんて彼女は楽しそうに微笑うけど、僕の方は恥ずかしいやら嬉しいやらで、まともなリアクションが取れなくなっていた。