笑顔と猫とどんぶらこ~フーテンさきの歌紀行~
「海のバカヤロ――――」
 あたしとまなちゃんが座っている所から、十数メートルほど離れた所で、海に向かって叫んでいる女性がいる。

 頭には小麦色の麦わら帽子。上は白のブラウス。下は丈の長い白のロングスカート。

 お嬢様風に見える麦わら帽子姿の女性は、一人のようだし、浮き輪もビーチパラソルも持っていないし、水着は着ていないので、海水浴をしに来たというわけではなさそう。

 人はどうして海に向かって、バカヤローと叫ぶのだろうか。海はバカなのだろうか。あたしは海が大好きだから、海に向かって「バカヤロー」と叫ぶ人の気持ちがわからない。

「海のバカヤロ――――」
 再び海に向かって叫んだ麦わら帽子姿の女性は、その場に座り込み、声を上げて泣き始めた。

 失恋でもしたのだろうか。あたしはなんだか心配になってきた。

「あの女性、さっきから様子がおかしくないですか」
 まなちゃんも心配なんだと思う。

「ちょっと声を掛けてみようか」
 あたしとまなちゃんは立ち上がり、水着から服に着替えて、麦わら帽子姿の女性の元に近寄った。

 見た感じ、三十歳くらいだろうか。あたしより年上に見える。

「こんにちは。大丈夫ですか?」
 あたしは腰を屈めて、砂浜に座り込んだまま、声を上げて泣き続けている麦わら帽子姿の女性に声を掛けた。

 あたしとまなちゃんの存在に気づいていないのだろうか。麦わら帽子姿の女性は全く返事をしてくれない。

「あの、何かあったんですか? 大丈夫ですか?」
 まなちゃんが心配そうな表情で麦わら帽子姿の女性に声を掛けた。

 それでも、麦わら帽子姿の女性は泣き止まない。顔を上げてくれない。何も答えてくれない。

 いつまでも泣いてるんじゃねーよ! あたしとまなちゃんが心配して声を掛けてあげたんだから! 早く何か言えよ! 挨拶くらいしろよ! などと言ってはいけない。声を上げて泣き続けている麦わら帽子姿の女性は、何らかの事情を抱えているのだと思う。
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