笑顔と猫とどんぶらこ～フーテンさきの歌紀行～
「私が海に向かって叫んでいる理由、おわかりいただけましたか？　私は、早く死にたいんです。この海で死にたいんです。早く彼の元にいきたいんです」
　綾香さんは大粒の涙を流しながら言った。

　あたしは何も声を掛けられずにいて、まなちゃんも無言になってしまった。

「あの、綾香さん。私の話を聞いていただけませんか？」
　しばらく沈黙の時間が続いた後、まなちゃんが口を開いた。

「綾香さんの辛いお気持ちはわかりますが、綾香さんは絶対に死んではいけないと思います。彼の分まで生きなければいけないと思うんです。人は誰でもいつかは死にます。限りある命を粗末にしないでください。自分の命を大切にしてください。綾香さんの彼は、誰よりも綾香さんの幸せを願っていると思います。綾香さんの想いは十分に伝わっていると思います。愛する人のために、どうか幸せになってください。元気な姿を見せて、彼を安心させてあげてください」
　まなちゃんが涙ながらに訴えた。

「…………まなさんは、愛する人を失った経験がありますか？」
「私は、ありません」
「ないんですね。経験したことのない人に言われたくないんです。経験したことのない人に私の気持ちがわかるわけがないんです。私の父も母も妹も友達も、みんな口を揃えて同じことを言います。まなさんが言ったように、彼の分まで生きなさいだとか。いつまでもめそめそしていないで、前を向いて生きなさいだとか。早く立ち直りなさいだとか。彼のことは忘れなさいだとか。他の誰かを好きになりなさいだとか。私に言わせてみれば、余計なお世話なんです。もう、うんざりなんです。私は早く彼の元にいきたいんです。死なないから生きているだけなんです」
　綾香さんは辛い胸の内を吐き出した。

　まなちゃんもあたしも何も言えなかった。
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