笑顔と猫とどんぶらこ~フーテンさきの歌紀行~
 五月は田植えの季節。
 横浜にも田んぼはいっぱいある。
 順序よく並んでいる緑色の稲。
 田んぼの中で泳いでいるカモの親子。
 あぜ道の土手に咲いている草花。
 小川に生息しているドジョウにザリガニにタニシ。
 のどかな田園風景が心を癒してくれる。
 ちょっとトラヴィスな気分。
 あたしはテキサスにいないし、パリを探しに行くんじゃないし、嫁も息子もいないので、トラヴィスではない。

 あたしは子供の頃から田んぼが大好き。
 旅に出てから一発目の路上ライブは、田んぼのど真ん中がいい。
 田んぼも畑も人の所有地。無断で歌うわけにはいかない。

「こんにちは。どうも初めまして。あたしは佐藤さきと申します。ここで歌ってもいいですか?」
 リュックサックを肩から降ろし、アコギをあぜ道に置いて、田んぼで農作業中のおじさんにお願いしてみた。

「いいよ」
 顔を上げて返事をしてくれた農家のおじさんは、唐草模様の手ぬぐいで顔と首の汗を拭いて、「おーい! ちょっと休憩しよう!」と言って、奥さんと思われるおばさんに声を掛けていた。

 農家の人は腰が曲がっている人が多い。屈んだままの姿勢で作業をしているからだと思う。この田んぼで農作業をしているおじさんとおばさんも腰が曲がっている。

「どうもありがとうございます」
 あたしはにっこりと微笑んで、農家のおじさんとおばさんに頭を下げた。
 田植えが終わったばかりの稲を傷つけてはいけない。あたしは田んぼのあぜ道で歌うことにした。

 田園ライブの観客は、農家のおじさんとおばさん。散歩中のおじいちゃん。猫とカルガモとカエルとハエとユスリカの大群。ちょっと目がしょぼしょぼする。

「みなさん、こんにちは。それでは歌います。どんぐりころころの替え歌です」
 アコギは弾かない。この手の歌はアカペラで歌う。
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