食わずぎらいのそのあとに。



総務は奥だ。

「部長」とタケルが声をかけて「先日もごあいさつしましたけど、今日からオープンになりました」

と挨拶した。

「そうか、米沢さん、おめでとうね。あ、もう平内さんになったのか。社内での名前、旧姓じゃなくていいんだよね?」

「どっちみち下の名前で呼ばれることが多いので、平内に変えようと思ってます」

「そうか、じゃあ香さんて呼ぶ方がいいね俺も。おい、いる人集まって。ちょっと挨拶」


人の良さそうな部長さんの周りに、座席にいる人たちが集まってきてくれる。手続きで人事の安岡さんとは話をしてるけれど、他の人にどのくらい伝わってるのかは知らない。

「御報告が遅れましたが、3月に入籍しました。9月出産予定なので、今後も手続き等でお世話になると思います、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

タケルに続けて頭を下げると、総務の皆さんは驚くこともなく「おめでとうございます」と言ってくれた。

お姉さん達も表面上微笑んでくれている。影ではまた悪口言われてるだろうけれど、それはまあ諦めてるから。




私だけ下の階に戻るのに、タケルは階段まで見送ってくれた。「じゃ」と行ってしまいそうになる袖を掴んでひきとめた。

「ありがと」

「なにが?」

「総務。自分じゃいけないけど、行かないと角が立つよね。気が回らなかった」

「管理とか、他の部も俺が適当にあいさつしとくよ。総務は香が行ったほうがいいと思ってさ」

「ありがと。ほんとに、感謝してる」

タケルはそういうところ抜かりがない。

本当は女性である私の方が気を回すべきだと思うけど、全然考えてなかった、他部署のこと。

「じゃ」と言われて慌てて袖を離した。階段を降りようとしたところで「香」と呼ばれて振り返ると、掴まれてふわりとキスをして、送り出された。

あのね、いくら公表したからって、社内でキスはまずいよ。また赤くなってないよね、私。

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