ビルに願いを。
メアリさんはホテルのロビーにあるエレベーターまで私を見送ってくれた。
「時々東京に来ることになりそうだから、また連絡させてね」
すっかりお友達のようにしてくれる。ご馳走していただいて図々しいかもしれないけれど、またおしゃべりできたら嬉しい。
金色のエレベータードアが柔らかく小さな音を立てて開くと、目の前に思いがけない人が立っていた。
私を見て、向こうも驚いた顔だ。
「こんばんは、丈さん。どうしたんですか?」
「どうって、別に……ああ、俺今この上に住んでるから。乗るの? 閉まるよ?」
「あ、乗ります。メアリさん、ありがとうございました」
丈さんが開けて待っていてくれたドアに飛び込んで、1階へのボタンを押した。
閉じる前にメアリさんがまだいるかと思って前を向いたら、丈さんがこちらを見ていた。
無表情なのに目つきだけは会社にいるときと違っていて、切ないような苦しいような、誰かを思っているような、そんな目に思えた。
ほんの一瞬だけ見えた表情に、ぎゅっと胸が締め付けられる。待っている人がいる場所に、帰りたい顔かなって。
それにしても、丈さんもホテル暮らしなんだ。でもあの人は一年東京に滞在しているんじゃなかった?
だったらマンションでも借りればいいのに。お金持ちだからいくらでも使えるのかな。
雲の上の人。
文字通り本当にそんな場所で1人暮らしてるんだって、なんとなく寂しい気分になった。
爽やかな初夏の夜風の中、満腹のお腹を落ち着かせるためにも、最寄りの地下鉄駅を通り過ぎて歩道をもう少し歩いてみることにした。
しばらく行ったところで振り返ると、夜空にそびえ立つ私たちのタワービル。
明日は今日よりもう少し、賢い自分になれますように。
それからついでにもうひとつ。
丈さんが、待っている彼女と家族の元に早く帰れますように。
そっと手を合わせて祈った。今度の願いもどうか叶えてください。