ビルに願いを。
「おはよう杏ちゃん、早いわね」
8時にもならないうちに、私の上司、麻里子さんもコーヒー片手にやってきた。カフェイン中毒仲間だなぁ、ときれいにネイルされた手元を見つめる。
「朝の東京を眺めようと思って。麻里子さん、社長が来たら起こしてってマッサージチェアで寝ているエンジニアさんに頼まれました」
「エンジニア?」
「たぶん。日本人で、でもアメリカンな雰囲気の。社長のこと誠也って呼んでました」
「そう、ジョーがやっと帰って来たか。ジョブマッチングサービスの根幹を1人で作り上げた例の天才ね。天才だけにわがままな感じでね、今回も勝手にアメリカに帰っちゃったのよ。彼の印象どう?」
きらっと目を輝かせて上目遣いに聞かれる。
ジョーさんて日本人なのか。印象ねえ。どうだろう。
「美形なのにもったいない感じでしょ。生気がないというか」
重ねて聞かれるけど、そんな人じゃなかった気がする。でも一瞬だったし驚きすぎててよくわからなかった。
ジョー・サノ。佐野丈。アメリカ生まれの日系二世。幼少期は日米を行ったり来たりしていたそうで、麻里子さんに説明されるまでもなく、確かに日本語もネイティブだった。
丈さんが開発したジョブマッチング、つまり適職紹介サービスは、この天空のオフィス、フェニックスの主要サービス。
世界展開している同様のサービスとしては、フェニックスは最先端で伸びているらしい。
カリフォルニアで数年前に立ち上がった小さな会社が大手の傘下に入り、最近東京やロンドンなどにオフィスを拡げている。というのも入社してから麻里子さんに聞いた話。
「麻里さん、今日の午後1時間ぐらいどこか開けて。ジョーが帰ってきたって」
社長が苦々しい顔で言いながら、速足で近づいてきた。
「おはよう、杏ちゃん。今日もきれいだね」と私に気づいてにこやかに声をかけてくれる。
前の会社のおじさんたちだったらセクハラ発言になりかねないのに、30代にして日本法人の社長を任されているこの人だと爽やかに感じる。みなぎる自信のなせる業かな。
「ジョーなら寝てますよ。社長が来たら起こしてって」
「直接来てるのか。コーディングしてた?」
「どうでしょう、杏ちゃんがさっき会ったみたいです」
リラクシングエリアで寝ていたことをもう一度伝えると、2人は肩を並べてそちらに向かって行った。
社長は叱る気十分という態度だし、社長より少し年上らしい麻里子さんも結構迫力のあるタイプだ。
寝起きに大変かも。がんばって、ジョーさん。