ビルに願いを。


お酒を飲みたいという圭ちゃんと、食後にホテルのバーにやって来た。B.C. squareと違ってこのくらいならもう緊張しないで私もいられる。

「よりによってジョー・サノか。やめとけって言ったのに。お前反対されると燃えるタイプだったな」

「そんなんじゃないよ。前とは全然違うから」

「でもこれまだしてるってことは、迷ってるんだろ?」

薬指の上をトントンと叩かれた。迷ってるというか怖い。指輪を外して自分が大丈夫なのか、自信がない。

「女性関係の話もいくつかあったよ。どこまで本当かわかんないけどな、ああいう暴露話は。杏、正直言って深入りする前に止めたほうがいいぞ」

圭ちゃんの言葉は、また呪文のように私に染み込んで行く。

深入りする前に、指輪を外す前に、ここでやめたほうがいい?





「明日は早いから起こさないでそのまま帰るね」と圭ちゃんに告げた。

少しだけでも会えてよかった。現実に心が少し戻ってきた気がする。最近は心が丈でいっぱいだったから。

よく考えてみよう。自分を見失わないうちに。

ドアの前で「おやすみなさい、いってらっしゃい」とまとめてあいさつする。

部屋に入ろうとしたところで「杏」と呼び止められた。

「それ、俺がはずしてやろうか?」

圭ちゃんが? やめとけってさっき言ったばかりなのに、どうしたの?

「別に自分ではずせるよ? 昨日もはずしてたの」

そしたら松井くんに会っちゃった。そこは圭ちゃんには言ってない。心配されそうだから。

「そうか。いや、だったらいいんだ。おやすみ」

「うん。次は家に帰ってきてね、お兄ちゃん」

なんでそんな言い方をしたんだろう、とドアを締めてから自分で思った。お兄ちゃんなんて呼んだことはないのに。
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