恋愛生活習慣病
act.19
バーベキューの後、彩芽と紗理奈にこっそり招集をかけて居酒屋に向かった。
女子だけで話したいので、男どもには「疲れたから帰って寝る」と言ってある。
長友くんは紗理奈と夜まで過ごしたかったみたいで、ものすごく残念がってたけど、ごめん、女の友情を優先させてもらいました。
「冬也さんに、付き合えないってはっきり言おうと思う」
泡盛で乾杯したあと、ふたりに告げた。
神妙な態度の私に、友人たちは顔を見合わせている。
この前は冗談ぽく話したのもあって酒の肴にして終わったけど、今日はそうじゃない。
彩芽と紗理奈に宣言して、この関係を終わりにしようと思っている。
だから、そのために話を聞いて欲しかった。
少しの沈黙の後、彩芽がそっと口を開いた。
「何かあった?」
ふたりとも、私と連絡が取れないのは、私がスマホのバッテリー切れに気づいていないせいか、急激な激やせと激務で体調崩してぶっ倒れているかのどっちかだと思ったらしい。
「倒れてるかもと思ったなら、様子見に来てよ」
「だから雅さん派遣したじゃん」
「紗理奈、そこはデリケートな関係なんだから配慮してよー」
「緊急だから仕方がないじゃん。高熱出して脱水でも起こして意識朦朧としてたらマズイって思ったの。私も彩芽も仕事だったし、いいタイミングで雅さんから連絡あったから使えるものは使わないと。まあいいよその話は。で?あのハイスペックイケメンと何があった?」
「いいからほら。さっさと話して」
ふたりとも、さっぱりしてると言うか雑というか。
私の乙女心より病人救助を優先させるあたりが、こいつらナースだよなあ。
まあ、心配はありがたいんだけどさ。
「冬也さんて、フランスの財閥とシンガポール財閥の一族らしい」
「は?フランスとシンガポール?」
「財閥?」
彩芽と紗理奈は私がクロエさんに話を聞いた時と同じような反応をした。
「何それだよね。私も聞いた時に何の話か分からなかったよ。一族とか言われてもピンとこないよね」
小説かドラマみたいな話だけど、世の中にはそういう階級で生きてる人がいるらしい。
この前、冬也さんのビジネススクール時代の友人にあったこと、冬也さんを愛してるとモデル張りの外国人美女に宣戦布告されたこと、そしてその美女が私に教えてくれたことを話した。
ふたりとも呆気に取られて目をぱちくりさせている。
「婚活リップにビルにホテル、と財閥」
「うん。会社名からその財閥とやらをネット検索してみたんだけど、ものすごかった」
そう。
金曜日、家に帰ってから調べてみた。
調べてみて、知って白目剥きそうになった。
フランス系財閥の方の名前はアルしか覚えてなくて、口紅の会社名から調べたのだけど、薬品、化学、バイオ、化粧品、飲料系の会社の名前がいっぱい出てきた。私んちにも、アルなんちゃら家(長くて覚えられない)の会社の製品がいくつかある。
リー家はビルの建設だけでなく巨大デベロッパーで、都市開発や不動産会社、ゼネコン、鉄道会社を持っていた。それに超有名な5つ星ホテルに金融会社まで持っている、アジア有数の企業グループ。
クーロン・リーが持っている巨大ショッピングモールやホテルはランドマークとしてとても有名。シンガポールや香港に行ったことがない私でも知ってるくらい。
企業名は知らなくても、製品や建物、サービスは私みたいな一般庶民も利用している。
それくらい、世界に浸透している、ものすごい巨大企業の御一族様だったのだ。
クロエさんに話を聞いた時はピンとこなかったけど、ネットでいろいろ調べていくうちにその凄さがよく分かった。
クロエさんの話だとけっこう経営者に近い親戚みたいだし、将来は約束されているようなことも言っていた。
そして友人であるクロエさんは、冬也さんのことが好きで愛してて転職までするほど本気だった。
「つまり冬也さんて御曹司?」
「そこは不明。直系じゃないって言ってたし、経営者の親戚ってくらいじゃないかなあ。でもクロエさんは、リッチなのは分かるでしょみたいなこと言ってた」
「まあ御曹司じゃなくても高収入な外資系コンサル会社勤務だしね。親戚の人脈があるから好成績は間違いないだろうし」
ただの高スペックな超イケメンでなく、血統まですこぶる良いイケメンだったわけね、と彩芽が深々と息を吐いた。
「そんなひと実在するんだねー」
「李紅の手には余るとは思ってたけど、ますます現実味がない人だね。あんたが理想とするヒモからは果てしなく遠い男じゃん」
でも実際どうなの?と紗理奈が右手にシシャモ、左手にネギまを持って聞いてきた。
「李紅は冬也さんのことが好き? それとも嫌い、もしくはどうでもいい?」
右手のシシャモ(=好き)と左手のネギま(=嫌い、どうでもいい)を左右に軽く振って、選べという仕草をする。
好きか嫌いかで言えばそりゃあ。
「それは……好きな要素しかないけど、この場合ネギまを取るしかない」
「要素じゃないでしょ李紅。今はあんたの本心を聞いてるの。シシャモ?それともネギま?」
本心。
付帯要素を取っ払って、私が冬也さんのことをどう思ってるか。でもなあ。
「うーん。けっこう気持ちにブレーキ掛けてきたからなあ。シシャモってなったら辛くなるのは分かってるし」
「でも本音はシシャモじゃないの?ネギま選んでそれこそ後悔しないって自信ある?」
「だからってシシャモってなっても上手くいかないと思う。結局はネギまになるなら今そうしたほうが」
「ちょっと! さっきからシシャモ、ネギまってややこしいわ! 普通に好きか嫌いかでしゃべれ!!」
彩芽がキレた。
うう。怒られたので好きか嫌いかで答えなくてはならない。
ふうっと息を吐いて、心の蓋をちょっとだけ開けてみる。ちょっとだけ。
「嫌いじゃない。というか好きにならずにいられないというかドボンと嵌りそうというか」
「じゃあ好きじゃん」
彩芽よ。
そんなあっさりと。
「無理だよ。この前、あんたたちも言ってたじゃん。冬也さんは観賞用にはいいけど恋人にはしたくないタイプって」
「それは私らの意見でしょ。大事なのは自分の気持ちだよ。余計な物を除いた李紅の気持ちはどうなの」
その問いはさっき彩芽が私に問いかけたものと一緒だ。
紗理奈はシシャモとネギまが邪魔してたけど。
素直な、私の気持ち。
本当の、感情。
心の中で、じんわりと広がっている、ほわほわして甘酸っぱくてドキドキしてきゅんとする、ちょっと切ないこの気持ちを一言で言うのなら。
「好き、だな」
口にした途端、胸の奥が、ぶわっと熱くなった。
ああ、やばい。
この感覚。火が付いちゃったじゃん。
もう恋なんてしない。恋なんて面倒くさいと思ってたんだけど。
うわ、気持ち認めたら何だかすがすがしい気分。
思わず口元が緩んでしまう。
「吹っ切れた?」
彩芽と紗理奈が私の変化に気づいてにやりと笑った。
「うじうじしてるなんて李紅らしくないって。あんたは若くもなく、大雑把で女子力も低い干物女だけど、タフさだけは誰にも負けないでしょ。大丈夫、玉砕しても骨は拾ってやるって」
「顔面偏差値も頭脳も経済力も能力も、ものすごい格差しかないけど、そのひとは李紅がいいって言ってくれてるんでしょ? こんな奇跡、二度とないんだから存分に楽しみなよ。一生分の恋愛分をここで使い切ったっていいじゃん」
励ましているのか、けなしているのか微妙だけど、ふたりが応援してくれているのは確かだ。……多分。
これから。
気持ちを認めてしまって、これからどうなるのだろう。
ドキドキするけど、先のことを考えると暗雲が立ち込めている恋の行方。
「…………ま、なるようにしかならないか」
深く考えようとしても悩み過ぎない所が私のいいところ、だよね。
考え抜くという辞書は私の中にはない。すぐに行動するから失敗ばかりするんだけど。
私は、私らしく、恋をしようじゃないか。
その日、三日ぶりにスマホの電源を入れた私は、冬也さんにメッセージを送った。
「明日、会えませんか?」
◇
翌日の19時。
急だったにもかかわらず、冬也さんからは了解の返事をもらってビルのエントランスロビーで待ち合わせをした。
ほんとにね……電源切って連絡絶ってたと思いきや、いきなり会いたいなんて、わがままな女だよ。
昨夜のメッセージの返事は電話ではなく、短い文章だけだった。
もしかして愛想を尽かされたかな。
不安な気持ちでロビーのソファに座って、エレベーターの方を見ながら、ふと気づいた。
冬也さん、今日ってオフィス勤務かな。確認してなかった。
腕時計を見ると、約束の時間を10分過ぎている。
冬也さんが時間に遅れるのも今までにはなかったことだ。
忙しいのかな。
もしかしてメッセージが入ってるかも、とバッグを漁ってスマホを探していると、スーツ姿の三人組が「ちょっとだけ休憩!」と言って植木越しの後ろのソファに、どかりと座った。
「マネジャー、今日すごい機嫌悪くないですか?」
「ああ、超最悪。氷点下対応にクライアントも凍りついてたろ。久しぶりにブリーザ様降臨してたよな。最近、機嫌よかったのに」
「機嫌の原因って例のカノジョかなあ? 週末に喧嘩したとか。ほら、シバタさん達が見たっていう女。金曜までは機嫌良かったよね。さっさと帰ってたし」
「ああ、ブリーザ様がべた惚れなんだろ? あのクロエがどんなに仕掛けしても付け入る隙がないらしいってどんな美女だよ」
クロエ?
聞いたことがある名前に耳が反応した。
男性達は私に聞こえてるなんて全く気づいてないらしく、上司と思われる通称ブリーザ様とその彼女の話題で話が盛り上がっている。
「それがさ、けっこう普通の女だって話。癒し系で可愛いけど普通っぽい子らしいよ。女優とかモデルと噂あったけど、そういう類の女じゃないらしい」
「ええ? 普通の女? ありえないですよ! あのブリーザ様ですよ? 顔は神、仕事は悪魔、家柄は異次元なマネジャーがそんな」
「いやマジで。しかもこのビルに勤務してるって話」
ん?
どっかで聞いたことがあるような話なんですけど。
「李紅。待たせてすまない」
わ!背後に気を取られてて人が来たことに気づかなかった。
「冬也さん。お疲れ様です…………クロエさんも」
『ハイ、リッキー』
どうやら外勤だったみたいで、冬也さんは戻ってきたところらしい。
クロエさんも一緒にお出かけだったみたいだ。
にっこり笑って手をひらひらさせてるけど……目が笑ってない。
「李紅。申し訳ないが緊急の出張が入って今日は時間が取れなくなった」
「あ、そう、なんですか」
『あら』
しゅうぅ、と気持ちと一緒にしぼんでいく返事にクロエさんの声が重なった。
『あなたたち、ここで何をしているの』
クロエさんが声を掛けたのは私と冬也さんではなく、私の後ろの男性たちに向けてだった。え、知り合い?
「え、クロエ? と、ま、マネジャー!」
「……休憩とは良いご身分だな。代替え案はもうできたのか? ニューヨークがあと4時間で開くことは知ってるよな」
慌てて席を立ちあがった彼らに冬也さんは冷たい視線と声を投げかけた。
冬也さん、マネジャーって役職なの?
ってことはもしかしてブリーザ様は冬也さん?
うん、なるほど。凍り付くようにコワいっすね。あの人たち、転げるように走って行きましたよ……。
女子だけで話したいので、男どもには「疲れたから帰って寝る」と言ってある。
長友くんは紗理奈と夜まで過ごしたかったみたいで、ものすごく残念がってたけど、ごめん、女の友情を優先させてもらいました。
「冬也さんに、付き合えないってはっきり言おうと思う」
泡盛で乾杯したあと、ふたりに告げた。
神妙な態度の私に、友人たちは顔を見合わせている。
この前は冗談ぽく話したのもあって酒の肴にして終わったけど、今日はそうじゃない。
彩芽と紗理奈に宣言して、この関係を終わりにしようと思っている。
だから、そのために話を聞いて欲しかった。
少しの沈黙の後、彩芽がそっと口を開いた。
「何かあった?」
ふたりとも、私と連絡が取れないのは、私がスマホのバッテリー切れに気づいていないせいか、急激な激やせと激務で体調崩してぶっ倒れているかのどっちかだと思ったらしい。
「倒れてるかもと思ったなら、様子見に来てよ」
「だから雅さん派遣したじゃん」
「紗理奈、そこはデリケートな関係なんだから配慮してよー」
「緊急だから仕方がないじゃん。高熱出して脱水でも起こして意識朦朧としてたらマズイって思ったの。私も彩芽も仕事だったし、いいタイミングで雅さんから連絡あったから使えるものは使わないと。まあいいよその話は。で?あのハイスペックイケメンと何があった?」
「いいからほら。さっさと話して」
ふたりとも、さっぱりしてると言うか雑というか。
私の乙女心より病人救助を優先させるあたりが、こいつらナースだよなあ。
まあ、心配はありがたいんだけどさ。
「冬也さんて、フランスの財閥とシンガポール財閥の一族らしい」
「は?フランスとシンガポール?」
「財閥?」
彩芽と紗理奈は私がクロエさんに話を聞いた時と同じような反応をした。
「何それだよね。私も聞いた時に何の話か分からなかったよ。一族とか言われてもピンとこないよね」
小説かドラマみたいな話だけど、世の中にはそういう階級で生きてる人がいるらしい。
この前、冬也さんのビジネススクール時代の友人にあったこと、冬也さんを愛してるとモデル張りの外国人美女に宣戦布告されたこと、そしてその美女が私に教えてくれたことを話した。
ふたりとも呆気に取られて目をぱちくりさせている。
「婚活リップにビルにホテル、と財閥」
「うん。会社名からその財閥とやらをネット検索してみたんだけど、ものすごかった」
そう。
金曜日、家に帰ってから調べてみた。
調べてみて、知って白目剥きそうになった。
フランス系財閥の方の名前はアルしか覚えてなくて、口紅の会社名から調べたのだけど、薬品、化学、バイオ、化粧品、飲料系の会社の名前がいっぱい出てきた。私んちにも、アルなんちゃら家(長くて覚えられない)の会社の製品がいくつかある。
リー家はビルの建設だけでなく巨大デベロッパーで、都市開発や不動産会社、ゼネコン、鉄道会社を持っていた。それに超有名な5つ星ホテルに金融会社まで持っている、アジア有数の企業グループ。
クーロン・リーが持っている巨大ショッピングモールやホテルはランドマークとしてとても有名。シンガポールや香港に行ったことがない私でも知ってるくらい。
企業名は知らなくても、製品や建物、サービスは私みたいな一般庶民も利用している。
それくらい、世界に浸透している、ものすごい巨大企業の御一族様だったのだ。
クロエさんに話を聞いた時はピンとこなかったけど、ネットでいろいろ調べていくうちにその凄さがよく分かった。
クロエさんの話だとけっこう経営者に近い親戚みたいだし、将来は約束されているようなことも言っていた。
そして友人であるクロエさんは、冬也さんのことが好きで愛してて転職までするほど本気だった。
「つまり冬也さんて御曹司?」
「そこは不明。直系じゃないって言ってたし、経営者の親戚ってくらいじゃないかなあ。でもクロエさんは、リッチなのは分かるでしょみたいなこと言ってた」
「まあ御曹司じゃなくても高収入な外資系コンサル会社勤務だしね。親戚の人脈があるから好成績は間違いないだろうし」
ただの高スペックな超イケメンでなく、血統まですこぶる良いイケメンだったわけね、と彩芽が深々と息を吐いた。
「そんなひと実在するんだねー」
「李紅の手には余るとは思ってたけど、ますます現実味がない人だね。あんたが理想とするヒモからは果てしなく遠い男じゃん」
でも実際どうなの?と紗理奈が右手にシシャモ、左手にネギまを持って聞いてきた。
「李紅は冬也さんのことが好き? それとも嫌い、もしくはどうでもいい?」
右手のシシャモ(=好き)と左手のネギま(=嫌い、どうでもいい)を左右に軽く振って、選べという仕草をする。
好きか嫌いかで言えばそりゃあ。
「それは……好きな要素しかないけど、この場合ネギまを取るしかない」
「要素じゃないでしょ李紅。今はあんたの本心を聞いてるの。シシャモ?それともネギま?」
本心。
付帯要素を取っ払って、私が冬也さんのことをどう思ってるか。でもなあ。
「うーん。けっこう気持ちにブレーキ掛けてきたからなあ。シシャモってなったら辛くなるのは分かってるし」
「でも本音はシシャモじゃないの?ネギま選んでそれこそ後悔しないって自信ある?」
「だからってシシャモってなっても上手くいかないと思う。結局はネギまになるなら今そうしたほうが」
「ちょっと! さっきからシシャモ、ネギまってややこしいわ! 普通に好きか嫌いかでしゃべれ!!」
彩芽がキレた。
うう。怒られたので好きか嫌いかで答えなくてはならない。
ふうっと息を吐いて、心の蓋をちょっとだけ開けてみる。ちょっとだけ。
「嫌いじゃない。というか好きにならずにいられないというかドボンと嵌りそうというか」
「じゃあ好きじゃん」
彩芽よ。
そんなあっさりと。
「無理だよ。この前、あんたたちも言ってたじゃん。冬也さんは観賞用にはいいけど恋人にはしたくないタイプって」
「それは私らの意見でしょ。大事なのは自分の気持ちだよ。余計な物を除いた李紅の気持ちはどうなの」
その問いはさっき彩芽が私に問いかけたものと一緒だ。
紗理奈はシシャモとネギまが邪魔してたけど。
素直な、私の気持ち。
本当の、感情。
心の中で、じんわりと広がっている、ほわほわして甘酸っぱくてドキドキしてきゅんとする、ちょっと切ないこの気持ちを一言で言うのなら。
「好き、だな」
口にした途端、胸の奥が、ぶわっと熱くなった。
ああ、やばい。
この感覚。火が付いちゃったじゃん。
もう恋なんてしない。恋なんて面倒くさいと思ってたんだけど。
うわ、気持ち認めたら何だかすがすがしい気分。
思わず口元が緩んでしまう。
「吹っ切れた?」
彩芽と紗理奈が私の変化に気づいてにやりと笑った。
「うじうじしてるなんて李紅らしくないって。あんたは若くもなく、大雑把で女子力も低い干物女だけど、タフさだけは誰にも負けないでしょ。大丈夫、玉砕しても骨は拾ってやるって」
「顔面偏差値も頭脳も経済力も能力も、ものすごい格差しかないけど、そのひとは李紅がいいって言ってくれてるんでしょ? こんな奇跡、二度とないんだから存分に楽しみなよ。一生分の恋愛分をここで使い切ったっていいじゃん」
励ましているのか、けなしているのか微妙だけど、ふたりが応援してくれているのは確かだ。……多分。
これから。
気持ちを認めてしまって、これからどうなるのだろう。
ドキドキするけど、先のことを考えると暗雲が立ち込めている恋の行方。
「…………ま、なるようにしかならないか」
深く考えようとしても悩み過ぎない所が私のいいところ、だよね。
考え抜くという辞書は私の中にはない。すぐに行動するから失敗ばかりするんだけど。
私は、私らしく、恋をしようじゃないか。
その日、三日ぶりにスマホの電源を入れた私は、冬也さんにメッセージを送った。
「明日、会えませんか?」
◇
翌日の19時。
急だったにもかかわらず、冬也さんからは了解の返事をもらってビルのエントランスロビーで待ち合わせをした。
ほんとにね……電源切って連絡絶ってたと思いきや、いきなり会いたいなんて、わがままな女だよ。
昨夜のメッセージの返事は電話ではなく、短い文章だけだった。
もしかして愛想を尽かされたかな。
不安な気持ちでロビーのソファに座って、エレベーターの方を見ながら、ふと気づいた。
冬也さん、今日ってオフィス勤務かな。確認してなかった。
腕時計を見ると、約束の時間を10分過ぎている。
冬也さんが時間に遅れるのも今までにはなかったことだ。
忙しいのかな。
もしかしてメッセージが入ってるかも、とバッグを漁ってスマホを探していると、スーツ姿の三人組が「ちょっとだけ休憩!」と言って植木越しの後ろのソファに、どかりと座った。
「マネジャー、今日すごい機嫌悪くないですか?」
「ああ、超最悪。氷点下対応にクライアントも凍りついてたろ。久しぶりにブリーザ様降臨してたよな。最近、機嫌よかったのに」
「機嫌の原因って例のカノジョかなあ? 週末に喧嘩したとか。ほら、シバタさん達が見たっていう女。金曜までは機嫌良かったよね。さっさと帰ってたし」
「ああ、ブリーザ様がべた惚れなんだろ? あのクロエがどんなに仕掛けしても付け入る隙がないらしいってどんな美女だよ」
クロエ?
聞いたことがある名前に耳が反応した。
男性達は私に聞こえてるなんて全く気づいてないらしく、上司と思われる通称ブリーザ様とその彼女の話題で話が盛り上がっている。
「それがさ、けっこう普通の女だって話。癒し系で可愛いけど普通っぽい子らしいよ。女優とかモデルと噂あったけど、そういう類の女じゃないらしい」
「ええ? 普通の女? ありえないですよ! あのブリーザ様ですよ? 顔は神、仕事は悪魔、家柄は異次元なマネジャーがそんな」
「いやマジで。しかもこのビルに勤務してるって話」
ん?
どっかで聞いたことがあるような話なんですけど。
「李紅。待たせてすまない」
わ!背後に気を取られてて人が来たことに気づかなかった。
「冬也さん。お疲れ様です…………クロエさんも」
『ハイ、リッキー』
どうやら外勤だったみたいで、冬也さんは戻ってきたところらしい。
クロエさんも一緒にお出かけだったみたいだ。
にっこり笑って手をひらひらさせてるけど……目が笑ってない。
「李紅。申し訳ないが緊急の出張が入って今日は時間が取れなくなった」
「あ、そう、なんですか」
『あら』
しゅうぅ、と気持ちと一緒にしぼんでいく返事にクロエさんの声が重なった。
『あなたたち、ここで何をしているの』
クロエさんが声を掛けたのは私と冬也さんではなく、私の後ろの男性たちに向けてだった。え、知り合い?
「え、クロエ? と、ま、マネジャー!」
「……休憩とは良いご身分だな。代替え案はもうできたのか? ニューヨークがあと4時間で開くことは知ってるよな」
慌てて席を立ちあがった彼らに冬也さんは冷たい視線と声を投げかけた。
冬也さん、マネジャーって役職なの?
ってことはもしかしてブリーザ様は冬也さん?
うん、なるほど。凍り付くようにコワいっすね。あの人たち、転げるように走って行きましたよ……。