ESCAPE
彼と話していると、自分の心の中にまだ残ってあった妙なポジティブさに気がつかされる。苛立つと同時に、「生きちまえよ」みたいな予想だにしない感情が沸々とわいてくる。アタシは彼を明らかにさげすんでいたし、そしてさげすむことで自分のバランスを保っていた。
今、目の前にいる男は、壁の隅で触手を動かしながらなかなか飛ぼうとしない銀バエのようだ。そしてアタシは、カゴを抜け出したヒヨコか何か。少なくともアタシのほうに、今、自由の軍配は上がっている。あの小汚い待機場で悶々と過ごし、手首を切っていた日々は一体なんだったのだろう。世の中下には下がいる。さげすみ、それでバランスをとろうと心の中の生命力が沸いてくるのを感じ、アタシはただ黙って、飛べないオトコの後姿を眺めていた。

***

ドラえもんのスマイルが描かれた列車を見て、彼は一言「鬱になるね」と聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。車内に入り、あたしは駅弁の紙袋をあけて、真っ赤なウィンナーとかだし巻き卵をモグモグしていたのだが、彼は一向に口をつけようとせず、たださっきからハイネケンばかりゴクリゴクリとひと飲みしている。

「修学旅行できたっけね。」
あたしがそう言うと彼は「逆ルートだけどね」と今日はじめての笑顔を見せながら言った。
札幌の中学生の修学旅行の定番といえば、函館、青森。ようやく本州に進出できるというのに、あの時のあたしは早熟だったためか、田舎っぽい景色にほとほと不平を漏らしていた。2F建てくらいの小さなお城、北海道ならいくらでもあるような小さな小川や湖を観光し、俳句を読まされた。
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