派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
高町社長と最初のデート。
今週は、ボーナス。
来週は、クリスマス。
12月は毎週ごとにトピックが立ちあがる。
今日、私は高町社長と最初のデートだった。6時の終業と共にオフィスを出る際、「頑張れよ」と、久保田からやけに似合わないエールを貰ったと思ったら、
「一歩間違ったら、おまえはこの国で働く所が無くなる」
まるで呪いだった。そして、その呪いは後からジワジワと効いてくる。
高町皇。35歳。
その若さで1グループの最高経営者。彼の存在感、その魅力は、待ち合わせから風を巻き起こす。道を行く女の子が1度は振りかえる。目線を飛ばす。見た目の良さ、洋服の仕立ての良さ、それだけじゃない事は一目了然だった。
「良かった。林檎さんの写真の通り、綺麗な髪の……」
そこで「あ、いや」と何かに引っ掛かると、「綺麗な人で良かった」
思わず噴き出した。
その無邪気も、眩しい笑顔も、まるで王子様である。
レストランの予約まで時間があるからと、2人並んで街を歩いた。お互いの仕事の話。家族の事。高町家は妹の結婚式が来年早々に決まっている……。
「その相手なんだけど。鈴木くんっているでしょ。営業に」
どの鈴木さんなのか分からなくて、「私、派遣なので。社員さんの事はそれほど」申し訳ありません、と謝った。その鈴木という社員と、妹さんが結婚する。
ガチでリアルなシンデレラ・ボーイじゃないか。
「兄を差し置いて」と私を見て、社長はにっこり笑った。私も釣られて笑ったけれど……適齢期。これだけ恵まれた条件。高町社長は、私なんかに割り振られる案件じゃない。CA。モデル。どこかのお嬢様。このお見合いが私に降りてくるまで、どうして誰ともまとまっていないのか、納得がいかない。
実は女癖悪いのか。久保田以上にクズなのか。
穏やかな会話の中、あらゆる方向から探ってみても、何も分からなかった。
高町社長には、何の非も見当たらない。
久保田の、あの呪いが蘇る。これを断ったら評価に響くどころか、高町の系列会社とは契約できなくなるかもしれない。久保田の言う通り、この国で、私の働く場所が無くなる。……私、とんでもない事をしてるんじゃないか。
「蜜希さん」
呼ばれて、すぐに振り向くと、
「で、いいですか。上の名前で呼ぶと、何だかビジネスみたいで」
はい、と笑顔で答える。その呼び名はあまり使われて来なかった、と思った。
歴代元カレは〝蜜希〟と呼び捨てが常である。社長という上役から〝さん付け〟されて……分不相応なリスペクトを差し出されて落ち着かない、という気持ちを初めて味わった。
レストランは高町の系列。それは社長の行きつけでもあるのか、彼の目配せだけで全てが流れた。かなり年配の従業員が専属で給仕に就いてくる。
金持ちにご飯オゴってもらっちゃお、というお軽い雰囲気には程遠い。
「肉は赤ワインって言うでしょ。でも俺はね、この淡白なジビエには絶対白が合うと思うんだよね」
そう言っただけで、さっと白ワインが運ばれてきた。私は、社長が自分の事を〝俺〟と称する事に気を奪われている。こう見えて意外に、俺様な人なの?
それはどの程度に厄介なの?そんな事を思いながら、食事を進めた。
お肉が思った以上に柔らかい。ワインも十分に美味しい。
「合う合わないと言うより、赤ワインとは情景が変わるような気がしますね」と、そんな哲学的な事も言ってみる。こういう言い回しがお好きかと。
社長は、静かに笑みを湛えて頷いてくれた。
少々堅苦しい食事会がここから一変、社長は小さな皿を持ち上げて、
「フィンガーボールってさ、要るかな。お絞りでいい気がしない?」
「あ……たまに、飲んだりする人、居ますもんね」
「ちょっと飲んでみようかな。どんな水なんだろ」
「え?あ」
高町社長は、まるで日本酒のようにグイ飲みした。
久保田だったら、間違いなく誰もが指をさして笑う。高町社長は周りの反応を確かめながら、というか従業員を横目に、何やら言いたげだった。
気が付いて、スッ飛んでやって来た給仕に、「この水最高。シェフを呼んで」
「社長、楽しいのは分かりますが、私を試して店で遊ぶのは止めて下さい」
こういう場合はどうするの?と訊かれた給仕は「こういう場合はさりげなくご説明致します」と回答した。
「ファイナル・アンサー?」
「……はい。ファイナルでございます」
何も食べられない。私は笑いを堪えるのに一苦労だ。これ今頃流行ってるの?
「言い方が上からだな」と社長は笑って、「〝ご案内〟で、徹底しようか」
「はい。〝さりげなく、ご案内いたします〟」
給仕は1度繰り返し「徹底いたします」と慇懃にお辞儀すると、奥に消えた。
そう言えば……私も役員に向けて〝説明します〟と上から目線ではなかったか。役員では無くても、誰に対しても……言葉って、ふとした弾みに本音が出る。
「ごめんね。食事中に」
「いえ。勉強になります。私もつい言ってしまって」
馬鹿にされている、と役員は感じていたかもしれない。
丁寧とは、慇懃無礼と紙一重。建前だらけだからこそ、普段の信頼関係が試される。立場と年齢、若い高町社長は、それを上手く操っているという気がした。
そこから話題はリゾート開発の未来に移る。まるで、ビジネスの商談。
それがデザートの頃になると話題はグッと砕けて……なぜか〝ピコ太郎〟。
「あの歌、鬼のように回るね。ペン、って普通に言えなくなったよ」
思わず笑ったけど。
気のせいか。
会話にハマっているかどうか。私の様子をつぶさに観察されている気がする。
派遣社員とビジネスの話は出来るか?それを試されたとは思いたくないけど。
「結局、女子供が喜ぶ物じゃないと、何をやっても世間にウケないんだよね」
高町社長だと嫌味が無かった。建築関係、医療系、女子供……単なる括りだと素直に受け止められる。久保田だったらこうはいかない。てめぇ女をバカにしてんのか?とフルボッコだな。
プロフィールも、実像も、どこを紐解いても、久保田とは真反対の人だった。
ヤサぐれた事なんか無いだろう。生まれながら本物の神様かもしれない。
目の前、高町社長に、いつかの久保田の趣味の悪いネクタイを付け変えてみたとして……妄想システムは即ダウンした。
あんなネクタイを選ぶ高町社長が想像つかない。たとえ間違って付けたとしても、系列デパート外商が大喜びであれやこれや世話を焼く。
温かい雰囲気も、健やかな育ちの良さを窺わせる。確かお父様を亡くして、それから後を継いで……計り知れない苦労も経験している筈だ。きっと人を見る目も養われている。そんな人が、どうして私を。
思い切って、ここでそれを聞いてみた。
「すごく……謙虚な人だと聞いて。今なかなか居ないでしょ。SNS、ブログ、みんな自分自分って出たがる人ばっかりだから」
今は本当に冬なのか。ワインのせいか。体温が急上昇する。
派遣という立場で出過ぎた事をするのは御法度だ。言葉がぶつかったら、相手に譲る。それは私の派遣社員としてのスキルの1つだった。正当に評価された、と言えるかもしれない。これ、恋愛に反映していいもの?
そこで、高町社長は残ったデザートを一気に平らげた。かと思うと、今は飲み込む事に懸命!という体を強調して(?)手に負えなくなってコーヒーを含む。
それでも動揺が収まらない様子で、僅かに残ったコーヒーを一気飲み。それでは足りないと思う。私は思わず水を渡した。……笑ってはいけない。
社長はこの恥ずかしさを何とかしようと悪あがきしているのだ。そんな所が可愛いと思った。何という抗い難い魅力なのだろうとウットリした……と言う方が近いかもしれない。
愛沢蜜希の、恋愛というお仕事におけるスキルアップ。これまでも様々経験してきたけれど、高町社長は、私の恋愛キャリア最高到達地点だ。間違いない。
食事を終えて、レストランを後にした。外は冬らしく程良い冷気で、酔いを覚ましてくれる。ロマンチックな街燈通りをしばらく歩くと、高町グループのショッピングモール前を通り掛かった。
〝stay with me〟
そんなクリスマス商戦のキャッチコピーが目に留まる。
「これね、広報の女の子が面白い事言って。そこから決まったんだよ」
そんな裏話が始まった。
stay with meには、シチュエーションの違いで、3つの意味がある、と言う。
①恋愛の場合……〝一緒に居て下さい〟
これは知っている。
「1度くらい女の子に言わせたいなぁ」と社長から悪戯っぽい目で見られた。
「またまた。高町社長は、言われた事なんて山ほどあるでしょう」
陽気に煽られて、私は思わず軽い口を叩いてしまったな。
②仕事の場合……〝俺に付いてこい〟
妄想に1番よく使われる台詞だった。頭の中には、難なく高町社長が現れる。
「高町社長みたいなイケメンに言われたらキュン死するかもしれませんね」
「またまた。蜜希さんって、今まで山ほど死んでる?」
「いいえ。いつも生殺しです」
妄想すると言う事は、そう言う事だった。取り様によっては、少々エロいな。
これほど砕け過ぎた発言でも、社長は心地よく笑って受け止めてくれて。もし友達として出会ったとして、自信を持って誰にでも紹介できる男性だと思う。
「3つめはね……遭難した場合」
それは聞いた事が無かった。「俺も聞くまで知らなくて」と社長も言う。
それは、どういう意味になるのか。
「〝今夜、ここで野宿しよう〟」
気のせい、と誤魔化す事を許さない気がして、思わず立ち止まった。それほど、高町社長に熱っぽい目で見つめられている。〝二人で夜明けを迎えよう〟
意味がすり替わって、勝手に体中が騒ぎ出して……まだ1回目のデートなのに。
最初から、それを狙って話題にしたのか。だとしたら、お見事と言うしかない。
嫌な気持ちに全くならない事が不思議だった。
例えば、もしここで笑って誤魔化したとして、それすらもスマートに受け止めてくれそう。そんな安心感がある。
〝私、次第〟
任されて、委ねられている、という快感もまた初めて味わった。
こんな高度な誘惑、久保田には期待できない。会話はサルとチンパンジー。
もし、本当に高町社長と結婚なんて事になったら……この業務。
配偶者として、やって行けるだろうか。英会話とか、お茶お華、お料理。役割として日本文化にも精通しないといけないかも。出来るだろうか。この業務。
社長との結婚は、決して甘い仕事ではない。
そろそろお別れ……それを教えるみたいに、デパートの時計が9時を伝えた。
私ばかりが為になる話が聞けて、正直、高町社長が私と付き合うメリットが思い付かない。謙虚が好きなら、メイドさんで十分じゃないか。
このまま自然消滅が妥当のような。
「高町社長、今日はご馳走さまでした。とても楽しかったです」
「自分もです。蜜希さん、今日はありがとう」
予定調和の社交辞令が宙を舞う。
「蜜希さん、今年のクリスマスですが」
それに続いて……stay with me……と高町社長は呟いた。
予定調和が空回り、恋愛、仕事、遭難して野宿……脳内で、静かにルーレットが回り始める。
「良かったら、イヴを一緒に過ごしませんか」
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