派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
次に会う時は、もう奴隷ではない。
「愛人、愛沢蜜希、とうとう身請けが決まりましたぁーっ」
化粧室は、盛大な拍手が沸き起こった。本人不在で、この盛り上がり。
いつものように、私は個室に潜んで聞いている。
「高町グループって……愛沢さん、いっきに勝ち組じゃん」
「哀れ、久保田。なんか縮んで見えるね」
「ボスザルも世代交代しなきゃ。次は、宇佐美か」
「ボスがゆとり?うちのクリエイター、先が思いやられる」
人の不幸話は盛り上がる。だが、幸せ話は一瞬で終わる。そこから話題は、「この後のクリスマス・イヴはどうするの?」で持ちきりになった。
デートがキャンセルで家族で食事。オフ会で集まる。ぼっちで映画三昧。
それぞれがこの後の予定を聞かせてお開きになる。いつものように誰も居なくなってから個室を出て、静かに身なりを整え、騒々しいオフィスに戻った。
例年であれば、イブは誰かの雑用が、じゃんじゃん振って来る。帰りたい人が引きも切らない。この後の予定の為に、一応、新調したティファニー・ブルーのワンピースで来たけれど。本当に帰れるんだろうか。
「〝正しいマインドフルネス〟6階の第2よ。誰か1人、行ってくんない?見積もりってどこ削ったの?飛んだ所は、ちゃんと削除してよね。営業から言われた差し替えは?それ?ちゃっちゃと直す!」
3課は、課長の顔色を窺って、戦々恐々としていた。彼女と目が合った。いつものように私の頭の中でゴングが鳴る。覚悟で立ち上がったら、
「愛沢さん、残りはもういいわよ。来週で」
高町グループを敵に回せないというアラームが働くのかもしれない。
今日は……午前中に任された作業が1日掛っても、誰からも文句を言われず、余分な雑用さえ降りて来なかった。そう言えば、久保田は午後から営業部に行ったまま帰って来ない。また、こっぴどくダメ出し、叱られているのかも。
そろそろ6時になろうかと言う頃、外はすっかり真っ暗。
私は周囲に気を使いながらも荷物をまとめ、久保田のデスクに終わった資料を置いて、さっさと通路に出た。
そこへ、ちょうど久保田が戻って来る。どういう訳か御機嫌。見ると、その手には赤と緑、クリスマス仕様のラッピング紙袋を提げていた。
「さっそく何か貰ったんですか」
「これは女に与えるエサ。デパートが混んでて超イラついたし」
「仕事抜け出して何やってんですか」
周りの目を痛いとも感じない。飄々とした態度は大物の風格すらある。
「何買ったんです?」
「何でもいいだろ。奴隷に報告する義務無い」
「教えてくれるぐらい、いいじゃないですか」
食い下がる私に観念したのか、久保田はドヤ顔しながらスマホの画像を見せてくる。ショップの前、商品を片手に、ドヤ顔で立つ久保田が写っていた。
その手には、ベビードールの。
「ラン……まさか、下着ですか」
「先着30限定。あんな店で、初めて行列しちゃったし」
思わずため息が出た。
「彼氏でもないのに、こんなの。セクハラでマジ訴えられますよ」
「んな訳ないだろ。2万もしたんだぞ」
「ググって情報収集しないんですか。こういうのが1番嫌がられるんです」
途端、久保田は妙に自信を失って、うろたえ始めた。紙袋を開いたり閉じたり、それを繰り返して、どう気持ちを切り替えればいいのかと途方に暮れている。
久保田は、時計と紙袋を交互に眺めて、溜息をついた。舌打ちした。
てゆうか、何やってるの。ヤサぐれている場合じゃない。
「……行って下さい。今からそのデパートへ」
「は?」と、久保田はイライラしながら私を見る。
「交換してもらうんですよ。パジャマの方がまだマシです」
「おまえは……これから金ボケと茶番だろ」
「は?」と今度はこっちがイライラする番だった。
「勘違いしないで下さい。久保田さんが独りで行くんですよ。当り前でしょ」
怒っていいのか笑っていいのか、分からなくなる。
「その女の下着のサイズ、間違ってないですか?違ってたらそれはそれで面白いですけど。パジャマは下着とはサイズ感が違いますからね。デザインは今、ふわもこが主流です」
「いちいちうるせんだよ。おまえは嫁かっ」
そこで奇妙な間が空いた。冗談でも久保田から嫁扱いされるなんて。
こんな事で、次の言葉が出て来なくなる。そんな展開は描いていなかった。
「人の事は放っとけ。奴隷はさっさと消えろや」
ちょうどやって来たエレベーターに向かって、久保田は乱暴に私を押し出した。
次に会う時は、もう奴隷ではない。
閉じて行くエレベーターの隙間、久保田の歪んだ表情が、いつまでも脳裏に焼き付く。紙袋の中味を疑いながら、思い悩むその顔が。
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