派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
〝私、次第〟
久保田は、まだオフィスに居ると言う。
もう9時になろうかという頃、クリエイター3課にだけ明かりが付いていた。
絵にかいたようなクリぼっち。
久保田は……何と言う事でしょう、渡された案件資料をデスクに広げて、仕事なんかやっている。私に気付いて、画面や資料をささっと車雑誌で隠した。
どういう逆アピールなのよ、それ。
久保田はワザとらしく平静を装って、
「金ボケはドSなのか」
私を見るなりそう言った。何かと思えば、いつの間にかストッキングが伝線している。ちょっとバタバタして。走ったから。
「茶番はどうした」
「自分でブチ壊しました。仕事が無くなったら久保田さんのせいです」
「は?俺のせい?」
久保田は鼻で笑った。「勝手にヒトの立場を悪くするな」と吹いたので「これ以上、久保田さんの立場はどう悪くなるんでしょうか」と逆襲。
睨まれただけで、久保田は特に何も言い返して来ない。
「久保田さんこそ、どうしたんですか。ランジェリーの女は?」
思い切って聞いてみた。ここで不貞腐れている事から一目瞭然ではあるが。
案の定「聞くな」と来た。笑うのは我慢した。いくら久保田でも哀れ。
私は給湯室でコーヒーを淹れて、余っていたお菓子をあるだけ持ち込んだ。
派遣OL愛沢蜜希の、社内備品パクリ事件。本日、勃発。
サラミ、するめ、チーズクラッカー、ラスク……統一性がまるで無い。
「その仕事、急がないでしょ?」と決めつけて、久保田の隣、いつものデスクに私も落ち着いた。久保田は寒いのか、両手をスーツのポケットに突っ込んでいる。温かいコーヒーには触れもしない。意地っ張りか。やせ我慢か。
「クリスマス。2人揃って遭難しましたね」
ここで、3つの場面で意味が違う〝stay with me〟の話をした。
「〝そうなん、ですかぁ〟」
笑ってあげないといけないのか。もう奴隷じゃないのに。
「久保田さんでもダジャレとか言うんですか」
「それだけ暇なんだよ。くだらねぇ」
クリスマス・イブ。どこもホテルは一杯。特に今年はイヴから週末というカレンダーもあって、普通に旅行客も集まっているというから尚の事。
クラリス・ホテルの、今日の賑わいなどを話題にしてみる。「ふーん」と、久保田には全然ハマっていない。
「そう言えば、あのプレゼントはどうしたんですか」
「ググって、毛玉に変えて……捨てた」
聞けば、ランジェリーは返品。パジャマはジェラート・ピケで、教えた通りのふわもこを買い直したらしい。「捨てるなんて」思わず絶句する程、刺さった。
「おまえがドン引きとか言うから」
「それこそドン引きですよ!パジャマが勿体ない」
「どうしろってんだよ」
「久保田さんが自分で使えばいいじゃないですか」
「家畜か、俺は」
「久保田さんがここで着て見せたら、さっきのダジャレよりはウケますよ」
妙な間が空いた。
「まさか、やろうとしました?」
「んな訳ねーだろ」
絶対妄想した!と、私は確信している。
話題を変えたいのか、「それ何だ?」と、淡いピンク色の立体的な包装紙を、久保田は目ざとく見つけた。私が貰ったクリスマス・プレゼント。
「高町社長から頂いたんです。せっかく用意したからって」
久保田の期待(?)を一身に背負って、開けてみた。
クリスマス限定のコフレ。全体をくるりとまとめたチェーンの真ん中には小さなダイヤが鎮座している。取り外せば、それはネックレスになった。
女心を鷲掴みだ。そのネックレスを、さっそく付けてみる。
「ほら、素敵」
くだらねぇ、と早速聞こえた。
「俺が、奴隷にふさわしいプレゼントをやるよ」
もう奴隷じゃないけれど、いきなりそれを言い出す辺り、まるで高町社長と張り合うみたいだと思った。お子ちゃま。
ほい、と寄越したそれは……「カイロ?」マジか、こいつ。思わず2度見する。
女の子の気持ちを離岸波のようにドンドンドン引きさせる男。
それでこそ久保田。それが久保田だった。何だか懐かしい気さえする。
「僭越ながら。久保田さん、普通はこうでしょう」
椅子をコロコロと移動して、私はカイロを握った手を久保田のスーツのポケットに差し込んだ。ポケットの中で、彼の手がつと触れる。指と指が強く結ばれると、それが照れ臭いのか屈辱なのか、久保田は1度顔をそむけた。
ハイ、逃げた。
恥ずかしさを乗り越えようともがく高町社長とはエラい違いだな。
高町社長に差し上げる予定だったネクタイを「勿体ないので」と久保田にあげる事にした。本当はコフレのお返しに差し上げてもよかったけれど、ネクタイを送ると言う事の意味が、状況的に相反する気がして。
「何で金ボケのお下がりなんか」
文句を無視して、強引に取り換えた。
結んで、掴んで、久保田をグイと引き寄せる。もう逃げないように。
「今日から、あなたは私の奴隷です」
生かすも殺すも、〝私、次第〟。
クリスマス・イヴの今日、恋愛キャリアの最高到達地点を、私は失った。
一晩中、ここで久保田昇にうつつを抜かす事になりそう。
人生、本気で遭難するかもしれない。
〝stay with me〟
日付が変わる頃には、空から雪も落ちてくる。
臆病なキスは、長く続いた。
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