派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
奴隷です。
次の日は朝から役員室に呼び出された。
いつもの事ながら、お茶を淹れて、我が社に関わる記事をスクラップしろと言われて従っている。欲しい記事は検索すればいつでも取り出せるのに、こんな事まだやってる人居たんだー、とノスタルジアを感じて遠い目になった。
「パソコンで何でも検索できます。私で良かったらご説明致しましょうか」
だがそれは大きなお世話であるらしい。この作業を迅速に効率的に行う事には、何の意味も無い。ただ、隣に座って話し相手になればいい。
「蜜希ちゃーん、仕事辞めちゃうのぉ?」
不意に、顔を覗き込まれた。何の事かと思えば、どうも派遣会社のいつかの面接聞き取り調査を、何かの一大事と勘違いしているらしい。
「あれはいつもの定期的な報告です」
「そ?もし辞めるならいつでも言って。ボクで好かったら就職紹介するよ?」
これまた、更に接近してきた。ボク専用の家政婦?看護婦?介護士?
うちの会社に、とは1度も言ってくれない。
適当にあしらって役員室を出ようとドアを開けたそこに、突然、久保田が現れた。今日の装いは、たまに見かける明るめのペンシルストライプ・スーツ。
チャラい印象だけが伝わる。会社に遊びに来ている人としか見えない。
役員フロアに一体何の用なのか。珍しい事もあると思った。
「何やってんだよ。仕事たまってんだろ。朝からちょろちょろ遊ぶな」
どうも、私に喝を入れに来たらしい。可笑しな話だけど、一瞬、役員に言ったのかと思った。久保田は、私の横に並んだ役員を上から見下ろして、
「こいつは俺の奴隷なんで。何か用事の時は、今度から俺を通して下さい」
いつでも貸します、と馴れ馴れしく私の肩を抱いた。役員は私と久保田を交互に見て、「蜜希ちゃんは……君の彼女ってこと?」
「いえ。奴隷です」と、その一言で役員を黙らせ、煙に巻く。
エレベーターを待ってる間、言いたくないけど「僭越ながら」と出てしまった。
「いつでも貸しますって、あの発言はクズの極みでしょう」
「何だよ?助けてやったのに文句か」
助けた?
まるで他所の国の言葉を聞いた気分だった。
「じゃ、たまった仕事っていうのは」
「いつも何かあるだろ」
「……久保田さん」
お説教の前振り、私は久保田と向き合った。
「次に助けてくれる時は、分かりやすい方法でお願いします」
「何だそれ」
「ヒーローの如く、私の手を引いて一緒に逃げてくれるとか」
「面倒くせぇな」
「そこまでやってくれたら、キムタクと重なるっていう奇跡が起きるかもしれないでしょ」
「ウゼぇ。マジで」
返しもツッコミも平平凡凡。面白くない。合コンでも女子ウケは期待できそうもない。歌とか歌うんだろうか。何を?想像も出来ないけど。
やって来たエレベーターに乗って、久保田は何故か6階のボタンを押した。
6階はいくつもの研修室がある。というか、それしかない。
どういう仕事なのかと窺いながら後を付いていくと、到着した先は誰も居ない小さな研修室だった。まるで会議室の様な……ドアを閉めた途端、久保田は私の髪を絡め取るようにして、首筋に腕を回す。
朝から。
まさかこんな所で。
すぐ隣では可動式の壁1つ隔てて、月1回のリーダー研修が開催されていた。
〝その言い方を、さっきの例にならって依頼型に変えてみましょうか〟
講師の、どことなく不慣れな、ぎこちない声がマイクを通して聞こえてくる。
久保田は、片手で私の首筋を捉え、もう片手は、ポケットに突っ込んでいた。
まるで片手間で十分という扱いで余裕を醸し出している。いつかは不完全燃焼で終わっていた。それをずっと持て余していたのかもしれない。
「キスぐらい、いいですよ」
「俺とキスしたかったら素直にそう言え」
したいの、そっちでしょ……言ってやりたい所を、寸での所で飲み込んだ。
ここから、どうするつもりなのか。その口元をじっと見ていると、
「どうだ?福山雅治ぐらいには見えてきたか」
「僭越ながら……調子に乗るんじゃない」
あぁ!?
キレた勢いを燃え藁にして、久保田はグッと迫って来る。
あと少しで唇が触れると言う所、その時……ふと鼻先に夏の香りが漂った。
「あ……」
香りが変わった!
理性と野生が交錯する、このアロマ。夏の粟立つ感じと、黄昏の淋しさと。
さすが久保田と言うか、季節が全く合ってない。けれど……悪くない。
久保田らしいと思った。自信満々で。まるで子供で無邪気で。ズレてる所も。
久保田は、顔の形が変わってしまうかと思う程、驚くほど強く、唇を押し付けてきた。舌は入ってこない。これはまるで、慣れない子供の、それだ。
キスはアッという間で……誰とスリ替えて妄想しようかと迷っている間に終わってしまう。久保田はしてやったりのドヤ顔で、「調子に乗るんじゃないぞ」と意趣返しのつもりなのか、私のさっきの失言を繰り返した。
……それは約束できないかも。
次は、髪型が変われば、結構、変身できるかもしれない。あとスーツも、もうちょっと落ち着いた色だったら……私はそんな事ばかりを考えている。
久保田の後を、従順に付いて行きながら……頭だけをスリ替えた〝久保田の妄想ヘアカタログ〟〝メンズ・プラザ・久保田〟を勝手に躍らせていた。
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