派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
……高町皇さん、という男性。
どれも同じにしか見えない。
それなのに、まだ決まらない。
久保田は車のHPを、日がな一日中眺めている。何をそんなに悩んでいるのかと不意に覗き込んだら、画面をパッと切り替えて、気を持たせようとする。
「どっか行きたいならそう言えよ。俺がいい温泉旅館を知ってる」
1日中、こすってやろうか……と、不敵に微笑んだ。
今までとは違う領域がザワつくような。そんな珍事は、私がアラサーの欲求不満だからか。それとも、もう3年も旅行していないからなのか。
そんな事よりも、
「スーツ、新調したんですね。それって自分で選んだんですか」
「そういう事をやらせるためにデパートに女がいるんだろが」
ダーク・グレーの落ち着いた色合いで、今までの久保田からしたら地味な装いである。それもこれも、私がアドバイスした……次の日、久保田は早速チェンジしてきた。女子ウケの快感を知って、自分改造が止まらない。本性を知らない研修参加者の中で、あの人イケてる!と噂になっているとか居ないとか。
今日は久しぶり、午後一で役員室に呼ばれた。久保田に奴隷宣言されて以来、お声が掛らなかったので、すっかりご無沙汰である。とはいえ、またセクハラが復活するのも面倒だと、私は重い気分を引き摺るように赴いた。
扉を開けると、1番厄介なハゲは不在。そこには、役員でも1番おとなしいお爺ちゃんと……「座って座って~」と陽気な、何故か林檎さんが居る
3人でソファに落ち着いたと思ったら、開口一番、
「蜜希ちゃん、久保田の奴隷にされてるって、ほんと?」
横のおじいちゃんから聞いたの?というより、いつかの3課での出来事、久保田の発言、それを余す所なく恋人から聞き出したに違いない。
「何か弱みでも握られてる?人事に好い事言ってやるとかって脅された?」
こっちの返事を待たずに、それは畳みかけられた。久保田に向かう怨念はよっぽど根が深いと感じる。私は、にっこり微笑んだ。
「ご心配、ありがとうございます」
林檎さんは目を丸くする。
「奴隷っていうのは、いつもの久保田さんの毒舌です。何でもありません。実は今が1番、とても仕事がやりやすいんです」
林檎さんは身を乗り出して、「本当?それマジ?心から言ってる?」
はい、と私は頷いて「いちいち気にしていたら仕事になりませんから」
そこで役員は、「いつも身内が迷惑かけて悪いねぇ」と林檎さんに乗じて、同僚の不手際を詫びた。
「いいえ。いつもお世話になってます」と怯える役員に向けて、私は微笑む。
「久保田さんにも勉強させて頂いてます」と林檎さんにも笑顔で頷いて見せた。
2人は不思議そうに顔を見合わせる。沈黙に変えて、お互いが腹の探り合いをしている様子が可笑しい。そのうち、「反省するなら態度で見せよう。したらはい、お菓子出して」と林檎さんに命じられて「僕は何もしてないよぅ」と情けない声を出しながら、役員は箱を取り出した。
「沈黙は?」と林檎さんが問いかけると、「ど、同意も同然?」と彼女の顔色を窺いながら役員が答える。
「ファイナル・アンサー?」
「ふぉ、ファイナ、アンサ」
「正解」
と、それを聞いて初めて、役員の目に安堵が浮かんだ。
これ、どういうプレイ?……思わず笑ってしまうワ。
日頃のセクハラ黙認を林檎さんに咎められたと分かった。彼女の顔色を窺いながらお菓子を配り始める役員を見て、笑いを我慢するのに苦労する。
誰も悪くはない。セクハラ本人も、普段から若い女の子との距離感、バランスが取れなくなっているだけなのだ。そのうち〝高齢役員を救え!セクハラ罪に巻き込まれないための予防講座〟なるものが開催されるかもしれない。
ぜひ、私を講師として……妄想はそこまで膨らんだ。
そこから私がいつものようにお茶を淹れて、3人で一息つく。
「蜜希ちゃん、実はね」
ここから空気が一変した。どうやら話の本題は、別にあったらしい。
曰く。
……高町グループの若社長。35歳の適齢期、男性。
「ごめんねぇ。今までいい年頃のお嬢さんを放ったらかしにしちゃって」
聞いているだけで、私の周り、不穏な空気が勝手に騒ぎ始める
「何年か前に前社長の親父が亡くなってさ、今はその長男坊が社長でね。こっちは親父の方と知り合いだったから……愛沢さん、どうかな?」
頭の整理が追いつかないうち、説明が頭に入って来ない。
「その高町さんと、会ってみない?」
林檎さんの方は直球だった。
2人は役員室で色々と話す内、そんな方向に話題が飛んだらしいけど。
「蜜希ちゃんも、見た事あるでしょ。ほら、たまに来るじゃん」
「でも、お話した事ありませんよ。どうして私なんか」
遠くからお見かけした事はある。いつも、あの上杉部長とやり合っている感じ。
林檎さんは隣の役員の頭を撫でながら(!)、
「このオヤジが頑張ってくれてさ。蜜希ちゃんの事、上手に話題にしてくれたからだと思う。それ聞いて高町さんも興味が出てきたっていうか」
役員を好い気分にするというフォローを忘れない。林檎さんはさすがだな、と思って聞いていた。
「あ、あたしもねっ!蜜希ちゃんはウチの大馬鹿社員、迷惑社員、ゴミ社員等々、みんなのフォローを笑顔でやってくれるような子だよって」
盛り過ぎた?と林檎さんは無邪気に舌を出した。久保田の悪評に盛り過ぎたかどうかと訊かれたら……そのまんまです。
必死過ぎるとか痛いとか、私は言われる。笑顔でフォローなんて、ものは言いようだなと思った。そして……見合い話と言うご馳走にも、久保田が一役買っているという事実もまた、そこにある。
「お話だけでも、してみないかなぁ?」
……高町皇さん、という男性。
真正面からの写真も見せられた。端正な面立ちに、華麗なプロフィール。
久保田どころか、斎藤工やディーン・フジオカとも互角に戦える男だと思う。
そんな人と自分が出会う。ひょっとしたら恋愛。奇跡が起きたら結婚も。
どういう神様のイタズラなのか。
これだけいい条件、断るかどうかなんて悩む事すら許されない気がする。
何より、これを断ったら……林檎さんや役員の顔を潰す事にならないか。
契約延長にも影響するんじゃないか。そんな迷いが林檎さんには伝わってしまったのか「蜜希ちゃん、そんな深刻に考えないで」と顔色を窺われる。
「金持ちに美味しいご飯オゴってもらうかな?って、その位で良いんだよ」
1分経過。
「……前向きに、考えてみます」
今はそれがやっとだった。一言絞り出した途端、2人の間に安堵が広がる。
お茶を飲んで、片付けて、私と林檎さんは余ったお菓子を貰って、役員室を後にした。私の連絡先、先方に伝えて貰って構わないと林檎さんに伝える。
林檎さんが階段で降りるというので、私もそれに続いた。
4階フロアに着いた所で、「色々とありがとうございます」と、一礼。
「もぉ、そういうの無し。蜜希ちゃんとあたしって同い歳だよ」
「そうなんですか」
歳は同じでも立場が違う。林檎ちゃん、なんて言えない。
「久々にウサギの顔でも見ようかなぁ」と林檎さんは1課に立ち寄るらしい。
まるで飼ってる家畜を可愛がるみたいだな、と思って笑いが込み上げた。
2人で通路に出た時、エレベーターの前に、久保田が居る。一瞬で2人それぞれの顔色が変わった。しばらくの沈黙の間に、不穏な空気が色濃くなる。
それなのに、まだ決まらない。
久保田は車のHPを、日がな一日中眺めている。何をそんなに悩んでいるのかと不意に覗き込んだら、画面をパッと切り替えて、気を持たせようとする。
「どっか行きたいならそう言えよ。俺がいい温泉旅館を知ってる」
1日中、こすってやろうか……と、不敵に微笑んだ。
今までとは違う領域がザワつくような。そんな珍事は、私がアラサーの欲求不満だからか。それとも、もう3年も旅行していないからなのか。
そんな事よりも、
「スーツ、新調したんですね。それって自分で選んだんですか」
「そういう事をやらせるためにデパートに女がいるんだろが」
ダーク・グレーの落ち着いた色合いで、今までの久保田からしたら地味な装いである。それもこれも、私がアドバイスした……次の日、久保田は早速チェンジしてきた。女子ウケの快感を知って、自分改造が止まらない。本性を知らない研修参加者の中で、あの人イケてる!と噂になっているとか居ないとか。
今日は久しぶり、午後一で役員室に呼ばれた。久保田に奴隷宣言されて以来、お声が掛らなかったので、すっかりご無沙汰である。とはいえ、またセクハラが復活するのも面倒だと、私は重い気分を引き摺るように赴いた。
扉を開けると、1番厄介なハゲは不在。そこには、役員でも1番おとなしいお爺ちゃんと……「座って座って~」と陽気な、何故か林檎さんが居る
3人でソファに落ち着いたと思ったら、開口一番、
「蜜希ちゃん、久保田の奴隷にされてるって、ほんと?」
横のおじいちゃんから聞いたの?というより、いつかの3課での出来事、久保田の発言、それを余す所なく恋人から聞き出したに違いない。
「何か弱みでも握られてる?人事に好い事言ってやるとかって脅された?」
こっちの返事を待たずに、それは畳みかけられた。久保田に向かう怨念はよっぽど根が深いと感じる。私は、にっこり微笑んだ。
「ご心配、ありがとうございます」
林檎さんは目を丸くする。
「奴隷っていうのは、いつもの久保田さんの毒舌です。何でもありません。実は今が1番、とても仕事がやりやすいんです」
林檎さんは身を乗り出して、「本当?それマジ?心から言ってる?」
はい、と私は頷いて「いちいち気にしていたら仕事になりませんから」
そこで役員は、「いつも身内が迷惑かけて悪いねぇ」と林檎さんに乗じて、同僚の不手際を詫びた。
「いいえ。いつもお世話になってます」と怯える役員に向けて、私は微笑む。
「久保田さんにも勉強させて頂いてます」と林檎さんにも笑顔で頷いて見せた。
2人は不思議そうに顔を見合わせる。沈黙に変えて、お互いが腹の探り合いをしている様子が可笑しい。そのうち、「反省するなら態度で見せよう。したらはい、お菓子出して」と林檎さんに命じられて「僕は何もしてないよぅ」と情けない声を出しながら、役員は箱を取り出した。
「沈黙は?」と林檎さんが問いかけると、「ど、同意も同然?」と彼女の顔色を窺いながら役員が答える。
「ファイナル・アンサー?」
「ふぉ、ファイナ、アンサ」
「正解」
と、それを聞いて初めて、役員の目に安堵が浮かんだ。
これ、どういうプレイ?……思わず笑ってしまうワ。
日頃のセクハラ黙認を林檎さんに咎められたと分かった。彼女の顔色を窺いながらお菓子を配り始める役員を見て、笑いを我慢するのに苦労する。
誰も悪くはない。セクハラ本人も、普段から若い女の子との距離感、バランスが取れなくなっているだけなのだ。そのうち〝高齢役員を救え!セクハラ罪に巻き込まれないための予防講座〟なるものが開催されるかもしれない。
ぜひ、私を講師として……妄想はそこまで膨らんだ。
そこから私がいつものようにお茶を淹れて、3人で一息つく。
「蜜希ちゃん、実はね」
ここから空気が一変した。どうやら話の本題は、別にあったらしい。
曰く。
……高町グループの若社長。35歳の適齢期、男性。
「ごめんねぇ。今までいい年頃のお嬢さんを放ったらかしにしちゃって」
聞いているだけで、私の周り、不穏な空気が勝手に騒ぎ始める
「何年か前に前社長の親父が亡くなってさ、今はその長男坊が社長でね。こっちは親父の方と知り合いだったから……愛沢さん、どうかな?」
頭の整理が追いつかないうち、説明が頭に入って来ない。
「その高町さんと、会ってみない?」
林檎さんの方は直球だった。
2人は役員室で色々と話す内、そんな方向に話題が飛んだらしいけど。
「蜜希ちゃんも、見た事あるでしょ。ほら、たまに来るじゃん」
「でも、お話した事ありませんよ。どうして私なんか」
遠くからお見かけした事はある。いつも、あの上杉部長とやり合っている感じ。
林檎さんは隣の役員の頭を撫でながら(!)、
「このオヤジが頑張ってくれてさ。蜜希ちゃんの事、上手に話題にしてくれたからだと思う。それ聞いて高町さんも興味が出てきたっていうか」
役員を好い気分にするというフォローを忘れない。林檎さんはさすがだな、と思って聞いていた。
「あ、あたしもねっ!蜜希ちゃんはウチの大馬鹿社員、迷惑社員、ゴミ社員等々、みんなのフォローを笑顔でやってくれるような子だよって」
盛り過ぎた?と林檎さんは無邪気に舌を出した。久保田の悪評に盛り過ぎたかどうかと訊かれたら……そのまんまです。
必死過ぎるとか痛いとか、私は言われる。笑顔でフォローなんて、ものは言いようだなと思った。そして……見合い話と言うご馳走にも、久保田が一役買っているという事実もまた、そこにある。
「お話だけでも、してみないかなぁ?」
……高町皇さん、という男性。
真正面からの写真も見せられた。端正な面立ちに、華麗なプロフィール。
久保田どころか、斎藤工やディーン・フジオカとも互角に戦える男だと思う。
そんな人と自分が出会う。ひょっとしたら恋愛。奇跡が起きたら結婚も。
どういう神様のイタズラなのか。
これだけいい条件、断るかどうかなんて悩む事すら許されない気がする。
何より、これを断ったら……林檎さんや役員の顔を潰す事にならないか。
契約延長にも影響するんじゃないか。そんな迷いが林檎さんには伝わってしまったのか「蜜希ちゃん、そんな深刻に考えないで」と顔色を窺われる。
「金持ちに美味しいご飯オゴってもらうかな?って、その位で良いんだよ」
1分経過。
「……前向きに、考えてみます」
今はそれがやっとだった。一言絞り出した途端、2人の間に安堵が広がる。
お茶を飲んで、片付けて、私と林檎さんは余ったお菓子を貰って、役員室を後にした。私の連絡先、先方に伝えて貰って構わないと林檎さんに伝える。
林檎さんが階段で降りるというので、私もそれに続いた。
4階フロアに着いた所で、「色々とありがとうございます」と、一礼。
「もぉ、そういうの無し。蜜希ちゃんとあたしって同い歳だよ」
「そうなんですか」
歳は同じでも立場が違う。林檎ちゃん、なんて言えない。
「久々にウサギの顔でも見ようかなぁ」と林檎さんは1課に立ち寄るらしい。
まるで飼ってる家畜を可愛がるみたいだな、と思って笑いが込み上げた。
2人で通路に出た時、エレベーターの前に、久保田が居る。一瞬で2人それぞれの顔色が変わった。しばらくの沈黙の間に、不穏な空気が色濃くなる。