空色(全242話)
夕方、7時45分。
タクシーを降りた私は、重い荷物を抱きかかえて店に向かった。
途中通るホストクラブのキャッチに耳を傾ける事すらせず、真っ直ぐに進み、ようやく見慣れたBabyDollの前に来た。
『おはよう、アユ』
店の前で私に声を掛けたのは美香……ではなく、幸成。
幸成は不敵な笑みを見せ、私の前に立ちはだかる。
細くても長身な幸成に立たれては、視界はゼロに等しくなった。
『どいて。 遅刻しちゃうから』
そう言って横を通りすぎた時だった。
また不覚にも腕を掴み取られてしまう。
決して逃す事のないように力が加わる幸成の手。
ミシミシと骨が鳴っている気すらする。
『俺、迎えに行ったんだけど?』
幸成は横目で私を見て言った。
今日の話か。
美香も気が利かないな。
幸成に「タクシーで来る」と伝えてくれれば良かったのに。
『仕事の前に行きたい所があったから』
幸成の目を見てゆっくりと話す。
ああ、
なんて不透明な瞳だろう。
まるで自分を見ているようだ。
きっと美しい物を見ても「美しい」と思わないのだろうな。
『明日も7時頃に迎えに行くから』
幸成はそう念をおすと、私の手を解放した。
しばらく掴まれていた手首は、反対の手首より細くなったように感じる。
もし明日、私がいなかったら幸成は……
そう思うとゾッとしてしまい、小さく頷くしか出来なかった。
『じゃあ私、行くから』
とにかくその場から逃げ出したくて、幸成に背を向ける。
それとほぼ同時だろうか。
『美香ちゃん。 親友なんだって?』
幸成の口からそう発せられたのは……
美香ちゃん?
確か幸成は「美香さん」と呼んでいたはず。
『可愛いよねー。 俺の言葉に一喜一憂する姿が』
何が言いたいの?
『俺に気があんのかな?』
何を馬鹿な事を言っているの?
『美香はそんな軽い女じゃない』
そんな事、あるわけないのだ。
あるわけ、ない……