空色(全242話)
『んじゃ俺、行くから』
十和は立ち上がって、私の頭に手を置いた。
冬なのに暖かい手。
昔聞いた「心の冷たい人は手が熱い」
あれは迷信だ。
誰かが言い出した嘘だ。
十和の手に触れて、そう思った。
『空はいつ見に行くの? 十和はいつ休みなの?』
何故、自分から求めているのだろう。
十和に特別な想いは無い。
そう断言したのは自分なのに……
『アユが休みで天気がいい日。 何日かはハッキリ言えないけど』
十和が困っている。
困りながらも優しい笑みを見せ、落ち着いて話す。
特別な感情は無い。
だけど嫌いじゃない。
いや、むしろ……
『アユちゃーん』
と突然、私の耳に無遠慮に届く声。
この声は、
『十和こっち!』
私は咄嗟に十和の手を掴み、店の脇の細道へ入った。
『アユちゃん? っかしーなぁ…… もう出勤時間過ぎてるのに』
こっそりと覗いてみれば、そこには予想通り藤原の姿。
『指名が入ったのかも』
藤原に捜される理由は、それくらいしか見当たらなかった。
今の所は……
『……行ったみたいだね』
同じように隠れた十和がそう言って笑う。
どうして隠れてしまったのだろう。
問い詰められたって「お客さんです」って言えば済むのに。
『じゃあ私、行かなきゃ。 指名もあるし』
十和の笑顔から目を反らし、店へ向かって歩き出す。
その瞬間、大きな手の平が手首を力強く捕えた。
『指名なんて断ってよ。 今すぐ俺に変えられないの?』
たまに見せる真剣な瞳(メ)。
駄目なんだってば。
私はこの人のこの顔に弱い。
言葉が出なくなる。
何故、隠れてしまったのか今わかった。
『駄目。 十和を特別扱い出来ないから』
心の隅っこで理解しているんだ。
十和と私の関係を、やましい事だと。
藤原にバレてはいけない事だと。
『だから帰って』
十和を客でなく、一人の異性として見ている。
そんな自分がいる事を、今更知った。