誰かのための物語
「でも、『お疲れ様』って、部活中ならよく使う言葉だよね。サッカー部のみんなは どういう挨拶をしてるの?」

「『おはよう』とか『こんにちは』が基本だけど、

『お疲れ様』を言うような場面ではね」
 

彼女は興味深そうに僕を見ている。僕は一度咳ばらいをしてから、右手を軽く上げてその言葉を口にする。





「ごきげんよう」
 


彼女が「ふふっ」と笑ったことは言うまでもない。

運動部の男子高校生たちが、お嬢様が口にするような言葉で挨拶をし合う光景はすごくシュールだ。
 


でも、僕らはこの言葉を気に入っていた。

目下、目上に関係なく、会ったときも別 れるときも使える挨拶。


それに相手の健康を願っていることを伝える意味がある。
 


そのことを彼女に言うと、彼女はまだ笑いがおさまらないのか、
口元に手を添えな がらも聞いてくれた。


「私も、日比野くんにはそう言ってもいいかな?」
 
そしていたずらっぽく、それでも控えめに尋ねた。僕はもちろん、と答える。



「じゃ、ごきげんよう」


「うん、ごきげんよう、日比野くん」
 


自分から提案したものの、やっぱり恥ずかしかったのか、

彼女の顔はほんのり赤くなっていた。



でも、その顔はどこか嬉しそうにも見えた。朝練に向かう間、


そのときの彼女の笑顔がずっと頭から離れなかった。
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