誰かのための物語
 その日、転入生が来ると担任が言ったとき、僕はあるひとつの予感を働かせていた。

新学期は名前順に席が決まる。僕の姓は『日比野ひびの』だから名簿では後半だ。僕の席は、左側二列目の一番後ろだった。その左隣が空いている。ということは、転入生は僕の隣に座ることになるだろう。

僕は緊張していた。転入生が隣の席になるかもしれない。僕はいわゆる『コミュ障』というやつで、特に初対面の人と自然に会話をしたりするのは苦手なのだ。

転入生は、眼鏡をかけた細身の女の子だった。緊張しているのか、頬が少し紅潮している。黒板の前に立ち、彼女はクラスを見渡した。

彼女がこちらを向いたとき、それまで反射していた眼鏡の光が見えなくなった。そしてその奥に見えた瞳に、僕は吸い込まれそうになった。

勘違いかもしれないけど、目が合ったと思った。そのとき彼女は、濁にごりのない澄すんだ瞳をわずかに大きくしていた。その輝きは、優しくて、綺麗だと思った。

彼女とは距離があったし、それは一瞬の出来事だったけれど、この光景は僕の目に焼き付いた。

また真正面を向き、彼女はゆっくりと口を開いた。なんだか自分の知っているような人のような気がして、僕はその名前が聞けるのを待った。

彼女の名前は、『森もり下した華か乃の』というらしい。僕は記憶のデータベースでその名を検索したけれど、残念ながらヒットしなかった。しかし、やわらかい響きが彼女にはとても似合うと思った。

やはり予感は的中し、彼女は僕の隣の席となった。まるで彼女のために用意されていた席だと思えるほど、彼女はそこにすっぽりと収まる。初めてこの教室に入ったはずなのに、彼女はなんの違い和わ感かんもなく僕の隣に座った。

隣である僕は「よろしく」でもなんでも、声をかけて緊張をほぐしてあげるべきだったのだろうけれど、結局、お互い黙ってただ小さく会え釈しゃくをしただけだった。

つくづく情けない自分が嫌になる。このタイミングを逃してしまったら、今後話をすることはとても難しくなるというのに。

目が合ったと思ったときから、ずっと気になっていた。彼女と僕は初対面ではないのだろうか?だとしたら、どれだけの関わりがあったのだろうか。それとも、ただの勘違いなのか。

知りたいことはいろいろある。でも、それを知ることはできないのかもしれないし、できるとしても遠い未来になってしまうような気がして、僕は正面を向きながら小さくため息をついた。
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