向日葵
第六話
付き合い始めて三ヶ月。第一印象で苦手意識のあった未久との関係は日を重ねる度に良好となり、暴走プロポーズも今となっては先を見据えた良い一手だったと言える。
出会った当初つっけんどんな態度だったのも、命の恩人であり一目惚れしてしまった一秋に対する照れであったと告白され嬉しい気分にもなる。
学生が夏休みに入った最初の日曜日、一秋はある想いを秘めて未久をデートに誘う。目的地は可愛い気泡を出すイルカで有名な水族館で、本来の目的はその近くの浜辺でと決めていた。水族館でのデート中、緊張を悟られないように振る舞うが、いつもと違う雰囲気に未久も気付いている。
夕日が地平線に掛かるか中、一秋は未久の手を引いて浜辺を歩く。時間が遅いこともあり、遊泳者や釣りをする者も全くいない。やるやかな凪が二人を包む中、真面目な顔で一秋は未久に向き合う。未久も覚悟をしていたのか緊張している。
「未久、大事な話がある」
「はい」
「初めての出会いから本当にいろいろあったけど、俺には君しかいないと確信してる。お互い頑固なところもあって喧嘩だってするけど、それでもずっと傍に居て欲しいと思ってる。出会った頃に先走って言っちゃったけど、改めて申し込みます」
ポケットから指輪の箱を取り出し、婚約指輪を見せながら口を開く。
「俺と結婚して下さい」
三ヶ月前、映画の前でプロポーズした言葉を再び放つ。当時は走って逃げた未久も、今回はその想いを素直に受け止める。
「はい。ふつつか者ですが、宜しくお願いします」
真っ直ぐ見つめてくる未久の瞳を見て、抱きしめたくなるのを我慢し箱を抱えたまま左手を取り、薬指に指輪をはめる。はめられた指輪を見て笑顔になる未久を我慢できず正面から力強く抱きしめる。
「未久、幸せにするよ。必ず」
「はい、私もそうなると信じてます」
未久の返事を聞くと一秋は左手で未久の頬を添えて、唇を重ねる。付き合い始めて幾度となく交わした唇だが、プロポーズ時のキスだけは特別な想いが溢れ二人を温かく包んでいた――――
――一年後、 一秋は未久の好物であるチーズケーキと秘密のプレゼントを抱え病室の扉を開ける。スーツ姿の一秋を確認すると未久はベッドから起き上がるそぶりを見せる。
「お疲れ様、一秋さん」
「起きなくていいから、横になってろよ」
荷物を置くと一秋は未久の肩を優しく掴みベッドに横たえる。未久は苦笑しながらもそれを甘んじて受ける。
「体調はどうだ?」
来客用のイスをベッド下から出しつつ一秋は容体を尋ねる。
「まあまあ、かな」
「そっか、無理するなよ」
「ありがとう。それはそうと……」
ベッドの横に並設されている小さなベッドを嬉しそうに見ながら未久は口を開く。
「この子の名前はもう決まった?」
ベッド内の赤ん坊はすやすやと寝ている。
「ごめん、まだ絞りきれてないんだ」
「もう、可哀相でしょ? 生まれてもう三日よ?」
「分かってる、いろいろ考えたんだけどな。三つ程候補があるんだ」
「教えて」
「うん、一つは秋菜(あきな)、もう一つは未綺(みき)、最後は飛鳥(あすか)」
言い終えると同時に財布から名前を書いたメモ用紙を差し出す。
「一つ目と二つ目は私たちから一文字とったのね。三つ目はなんで飛鳥?」
「ああ、それは画数がいいみたいなんだよ。姓名判断ってやつ」
「なるほどね」
「どれがいいと思う?」
「そうね、催促しといてなんだけど、私もこの中から少し考えてみるわ」
「分かった」
「ところで、さっきから気になってるんだけど……」
未久は身を乗り出して一秋が持ってきた箱と紙袋を見る。
「あっ、これはチーズケーキ」
「じゃなくて、その紙袋の方」
「なんだと思う?」
一秋は少し意地悪そうな顔をして問い掛ける。
「え~、なになに? 意地悪しないで教えてよ」
笑顔で聞いてくる未久を見て一秋は紙袋を差し出す。
「開けていいよ」
未久は手渡された紙袋を楽しそうに開封する。そこには未久が想像していなかった物が入っている。
「これって……」
「未久、入院する前からずっと欲しがっていただろ? 捜し回ってやっと見つけたんだ」
真っ白なワンピースを手にし、未久は呆然としている。
「結構高いんだな、ここのブランド。財布も俺もびっくりした」
冗談混じりに言う一秋とは対象的に、未久の瞳には涙が溢れている。
「ありがとう……、一秋さん。ずっとずっと大事にする……」
「ああ、早く元気になってそのワンピース姿の未久とデートする日を楽しみにしてる」
大事にワンピースを抱きしめる未久を一秋は笑顔で見つめる。
面会時間が過ぎ病室を後にすると、未久の主治医を訪ね病体を聞く。一秋のみならず未久本人にも告知されていることだが、未久に生きることを許された期間はあまりにも短い。
急性白血病と診断され胎児と母体のどちらかしか救えないと宣告されとき、未久は迷いなく胎児と言い切った。奇跡的に母子共に出産を乗り越えたときは大いに喜びに震えたが、つかの間で未久の病体は悪化し、いつ急変してもおかしくない状態でいる。
一縷の希望を胸に医者と話しを交えるも、延命や終末期医療と言った一秋からしてはネガティブなことしか言われず苦悶の表情になる。結婚して一年も一緒に暮らしていない部屋に戻ると、一秋は立ち尽くしたまま堰を切ったように涙を流す。
(なんで未久が白血病になるんだ! なんで! 幸せにするって誓ったのに、このままじゃ俺は何もできないじゃないか!)
机に広がる命名事典を数々を虚空な目で見つめる。いくら真剣に考えて名前を付けてみても、未久と共に歩めない子供の未来を考えると絶望感しか沸かない。
(頼む、頼む神様! 本当に神様がいるのなら、せめて子供が物心つくまで未久を傍においてやって下さい!)
一秋は涙を拭き、命名事典を強く握り締めながら未久と子供の幸せを願っていた。