向日葵
第七話

 二日後、日曜日ということもあり、一秋は朝一番で未久の病室に向かう。休日らしく見舞い客も多く、通路はわりと混雑している。廊下を走り抜ける病気とは思えないくらい元気な子供達を、微笑みながら見送り病室の前に立つ。
「未久、入るぞ」
 いつものように声をかけ扉を開ける。普段ならこの時点で返事をされるはずだが、今日は返ってこない。疑問を感じながらベッドに近づくと、未久は布団にうずくまり震えている。
「未久!」
 未久の異変を感じた一秋は急いで駆け寄る。
「大丈夫か、未久!?」
 未久の顔を横から覗くとボロボロ涙を流して泣いている。すぐに気がつかなかったが、いつも見ているパジャマ姿ではなく、最近プレゼントした純白のワンピースを着て少し化粧もしているようだ。
「どうした!? どこか痛むのか?」
 動揺する一秋を未久は泣きながらも笑顔で見つめる。
「未久?」
「ごめんなさい。大丈夫、これは嬉し涙だから……」
 そう言ったものの未久の瞳からは涙が止まらない。一秋はどうしていいか分からずオロオロする。しばらく、泣き続けていたが落ち着いたのか、大きな溜め息をつく。
「ごめんなさい、もう落ち着いたから大丈夫」
「どうした? 何があった?」
 事態を全く把握出来ない一秋は戸惑いながら問う。しかし、未久の口からは意外な言葉が出る。
「ふふっ、内緒」
「えっ?」
 一秋は不思議そうな顔で未久を見るが、当の本人は幸せそうな笑みをしている。
(なんなんだ? この表情からして悪い気分でないことは分かるが、理由が全く分からん……)
 眉間に皺を寄せ訝しげな一秋に未久は話し掛けてくる。
「ねえ、一秋さん。実は報告があるの」
「ほ、報告? 何?」
「子供の名前、飛鳥にしない?」
(ここに来て子供の名前って……)
「うん、いいと思うけど、突然またなんで飛鳥に決めたんだ?」
「ふふっ、秘密~」
「おいおい、こんな大事なことは秘密にするなよ」
「冗談。実はね、飛鳥に聞いたのよ。あなたのお名前はなんていうの? って」
 未久の言葉を聞いて、一秋は寝息をたてる新生児飛鳥と未久を何度も凝視する。その姿に未久は苦笑する。
「とにかく、この子は飛鳥なの。誰がなんと言おうとね」
 変わって真剣な顔を向ける未久に一秋も頷く。
「分かった。未久がそういうならそうなんだろう。名前は飛鳥にしよう」
「うん、ありがとう一秋さん」
「ところで、さっきから気になってんだけど、なんでワンピース着てるんだ?」
 久方ぶりに見る私服姿の未久を一秋はまじまじと見る。
「たまには綺麗な私を見せとかないと浮気されるでしょ? だから今日は気合いを入れてみた。な~んてね」
「するわけないだろ? 全く……」
「ホント?」
 未久は一秋の顔を下から覗き込む。
「ホントだって!」
「ホントに? じゃあ、今の私を見て言わなきゃいけないセリフってあると思わない?」
 意地悪い笑顔で聞かれ、一秋は照れながらポツリという。
「綺麗だよ、未久」
「ありがとう、一秋さん」
 いつもよりも増して輝く笑顔に一秋の心も温かくなっていた――――


――三日間後、一秋は未久の手を強く握りしめて見つめる。未久の顔色は真っ青で呼吸も荒く血の気も引いている。深夜に容体が急変し、慌てて病室に駆け付けるも主治医は首を横に振るだけで、一秋を救う言葉を持ち合わせていなかった。祈るような面持ちで未久を見つめていると、意識がはっきりしたのか口を開く。
「一秋さん……」
「未久!」
「私、もう、ダメみたい……」
「何言ってんだ! しっかりしろ! もっと一緒にいてくれ! 俺、お前がいないとダメなんだよ!」
 一秋の目には大粒の涙が溜まっている。
「そんなこと言って私を困らせないで……、飛鳥はどうするの? 私がいなくなったら飛鳥を守れるのは一秋さんだけなのよ。約束して、飛鳥を守っていくって……」
「分かった。分かったよ、未久……」
 一秋の涙は頬を伝って未久の手にこぼれ落ちる。何も知らない飛鳥はすぐ隣で静かに寝息をたてている。未久はしばらく飛鳥を見つめたのち、一秋の方を向く。
「ねえ、一秋さん、神様って信じる?」
 唐突な問い掛けに一秋は戸惑う。
「神様か、分からない。けど、もしいたとしたら俺はどんなことをしてでも未久を助けてくれって願うよ」
「ふふっ、一秋さんらしい。私はね、神様はいると思う。なぜなら神様は私のお願いを叶えてくれたから……」
「お願いって?」
「聞きたい?」
「もちろん」
「頭が変になったって思うかも」
「思わないから。言ってくれ」
「分かったわ……」
 未久は瞳を閉じたまま話し始める。
「私はここに入院して、余命が持って二ヶ月って宣告されて以来ずっと考えてた。飛鳥さえ無事に出産できればいいって。でも、飛鳥が無事に生まれてきてくれたら、また違うことを考え始めた」
 一秋は静かに真剣に耳を傾ける。
「今までの人生のこと、これからのこと、残り二ヶ月で私に何ができるのかって。でもたった二ヶ月で出来ることなんて限られてた。外出も規制されてるし身体も弱くなっていく。思い出を作ることもままならない。来る日も来る日も毎日同じことを考えてた。どうして私の身にこんなことが起きたのか、私が今本当にしたいことは何なのか、望んでいることは何なのか。もし、願いが叶うのならば飛鳥の成長した姿を見てみたい、この手で抱きしめて遊んであげたい。結婚式に出て一緒に泣いて祝福してあげたい。もし、願いが叶うのならもっと一秋さんと一緒に人生を歩きたい。辛いとき寂しいときは支えてあげたいって心から思う……」
 込み上げる想いと涙を我慢しながら一秋は静かに聞く。
「でも、私に残された時間はもうない」
「そんなことはない!」
 堪らなくなり一秋は強くいい放つ。
「大丈夫だ。未久はこれから元気になる!」
「ううん、自分の身体は自分が一番よく分かるもの。だから、私の夢は絶対に叶わない、そう思ってた」
「思ってた?」
「そう、思ってた。でも、どうしてだか私にも分からないけど、願いは叶えられたの」
「未久?」
「オカシイって思ってるでしょ?」
「なにを言いたいのかよく分からないんだけど……」
「私も正確には分からないし上手く説明も出来ない。でも私はこう思った。私には『時を飛び越えられる力がある』って」
 首を傾げながら一秋は聞く。
「時を飛び越えるって映画とかである、車とかラベンダーの香りで行き来するやつ?」
「そう、過去や未来にね」
「本気で言ってる?」
「ご想像にお任せするわ」
「じゃあ、今すぐ未来に行けたりするのか?」
「ううん、もう行けない。回数が決まってたみたい」
「おいおい、それじゃあ証明のしようもないだろ」
「そうね、そんな夢を見ただけなのかもしれない。最近そんなことばかり考えていたから」
「結局夢オチか」
「どうかしら。でも、私の記憶だと……、三回はそんな夢を見たわ」
 どう返事して良いか戸惑いながら見つめていると、未久は苦悶の表情を見せる。
「未久!」
「一秋さん、最期に言わせて欲しい……」
「最期なんて言うな!」
「私、本当に幸せだった。一秋さんに出会えて一緒に暮らせて……、そして飛鳥を産めて。本当に心からそう思う。一秋さんと生きてこれた人生は私の宝物です。本当に、本当にありがとう……、一秋さん……」
 未久の瞳からはとめどもなく涙が溢れる。一秋の頬もとっくに涙で濡れている。
「未久……」
「私はいつも一秋さんの傍にいます、それを忘れないで……」
「忘れるもんか!」
「ありがとう一秋さん、また、逢える……、よ…………」
 未久は静かに目を閉じ、それと同時に一秋を握る手の平から力が抜ける。
「未久!」
 一秋は鳴咽の声を出しながら未久の身体にしがみつく。幸せそうな笑みを浮かべたまま眠る未久の左手には、向日葵の形をしたブローチが握られていた。

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