ヒーローの進化論
「ちょ、ちょっと」
男はもう私に背を向けていて、力なく発した声は騒がしい駅構内の音にかき消されたと思った。
でも私の声は届いたのか、男は立ち止まってこちらに振り向く。
その顔を見て、心底驚いた。
「や、山井くん」
私の言葉に、彼も驚いたような顔をした。
「あれ、同じ学部の、…ごめん名前思い出せない」
そう言いながら私の近くに戻ってくる。
ホームに滑り込んできた列車が、その黒髪をさらりと風で揺らした。
私の名前を、覚えてない?
山井くんの言葉にかなりの衝撃を覚えた。
「森本亜衣(もりもとあい)、です」
「あ、そうだった」
嘘を吐いている様子などない。
純粋に記憶に残っていなかったという表情。
こんなこと、初めてだ。
同じ授業になることも多く、結構話し掛けたりしていた相手。
冷たそうであまり笑わないし、何を考えてるのか分からないのでタイプじゃなかったけど。
覚えられていないとは思わなかった。
大抵の人は、すぐに私の名前を覚えて呼びたがるというのに。
「顔色、真っ青だけど。大丈夫じゃなさそうだね」
立てる?と私の方に手を差し伸べてくる。
その手を取ろうかどうしようかと狼狽えてると、ちょうど膝の上にあった私の右手を持って引き上げた。自然と立ち上がるような格好となった。
支えてくれようとしたんだろうか、左手は私の背中の後ろに回り込んでいる。
でも、決して触れてこようとはしない。
私が倒れ込まない限り、その意思は変えないつもりらしい。
ここまでの一連の流れ、山井くんは顔色一つ変えず無表情に近かった。