まだ見ぬ春も、君のとなりで笑っていたい
「――いい加減にしないか」

突然、後ろから声がした。わたしとお母さんはびっくりして同時に振り向く。

廊下に立ってこちらを見ているのは、いつの間に帰ってきたのか、お父さんだった。

「母さん、言い過ぎだよ」

お父さんが通勤鞄を床に置きネクタイを緩めながら、お母さんをまっすぐに見据えて低く言った。

「つまらないとかくだらないとか貧困とか……そんなことを言われて遥がどう思うか、少し考えれば分かるだろう」

お父さんがお母さんに反論をするのを初めて見た。驚きのあまり、わたしは瞬きすら忘れてお父さんを凝視する。

お母さんは眉根を寄せて、くっと唇を噛んでから大きく息を吐いた。

「私は別に何も遥のこと言ってたわけじゃないわよ。一般論よ、一般論」

「それでも、遠回しに遥に対する批判になってるのは同じだろう」

「批判なんて! 自分の子どもに批判なんてするわけないじゃない。ただちょっと叱ってただけよ」

「頭ごなしに自分の意見を押しつけて相手の非をあげつらうことは、叱るとは言えないよ」

苛立ちをぶつけるようなお母さんの声に対して、お父さんの声は落ち着いていて冷静だった。

お父さんはこういう時こんなふうに話す人なのか、と驚いた。とても静かな口調だけれど、淡々としているからこそ相手に反論をさせないような、独特の強さがあった。

お父さんは無口でいつも穏やかに笑みを浮かべている人、というイメージだった。人をいさめたりするお父さんを見た記憶がない。

でも、もしかしたら会社で仕事をしているときも、部下の人をこういうふうに諭しているのかな、となんとなく思う。生まれた時から一緒に暮らしているのに、お父さんのことを本当の意味では見ていなかったのかもしれない。

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