学園の通り魔
 屋上には、俺と硝子以外誰もいなかった。風が強いせいだろうか。

 フェンスに背中を凭れて、硝子がやっと口を開いた。

「証は今保健室にいるよ」

『証』という名前を聞いたとたん、指先がピクッと反応していた。
 硝子と同じようにフェンスに身体を預けていた、その首筋に汗が流れた。
「うん…」

「あの子に何したの?」

 さっき覚えたばかりの硝子の声が、少し低くなったと感じる。

 硝子が苛ついているのが空気を挟んで伝わってきた。

「何…したかだって?」
「あの状況、見た限りじゃあ、あんたが一番簡単に証を恐怖させることができるんだよ…わかるでしょ?自分が何をしたのか、覚えているでしょ?」

 硝子が俺の襟を引っ張りながら、俺の身体をフェンスに押さえつける。以外と強い力だった。
 そしてそれ以上に、俺は硝子の気迫に圧倒されて、何の抵抗もできなかった。

 硝子が続ける。
「あの子は自分から誰かに話しかけるなんて絶対にしない。だからあんた以外に考えられない。
 もう一度聞くよ。あの子に、何したの?」

 母親が、我が子に危害を加えた者に対するように、硝子の双眸には証を守ろうとする意思と、俺への警戒や怒りが映っていた。

 俺は、悪者なわけだ。

 もちろんそれは硝子の勘違いだ。結果がどうであれ、俺には証に対する悪意がなかったのだから。

 本当に自分が感じたままに、話せばいい。

「…とりあえず、手、離してもらえると助かる」

 すると硝子は、驚いたように両手を一瞬で引っ込めた。どうやら正気を失っていたようだ。
 このまま黙ってたら、もしかして俺、殺されてたかもな、硝子に。

「ごめん、やり過ぎたよ…」

 硝子は動揺を隠さず、それまでの勢いを一気に失った。

「いや。あのさ、証のこと…」
 とたんに硝子の身体の全部の神経が俺に集中した。何だろう、この感じ。くすぐったい。

 学級会長で人望厚いこの人を、なぜかとても幼く感じた。

「実は俺も、よくわかんない。片城さんがなんであんなに、俺を怖がったのかがさ…」
「わかんない?どうして」

『わからない』に、理由をつけれるわけないだろう。

 硝子はまだ俺を疑っているようだ。俺が嘘をついていると思っている。
「だから、何もしてないし、心当たりがなくて。俺も困ってるんだよ。だって、話しかけただけだよ?」

「他には?」
 眉間に皺を寄せて、硝子が問う。

 なんだよ、このシチュエーション。

 まるで俺、極悪人だな。只今、竜崎刑事による取り調べ中。

「えーと、眠りを妨げた、みたいな…」
「は?」

 ダメだ、ジョークが全く通じねー。
『もっとわかるように説明しろ』と硝子の顔が言ってくる。成る程、『目は口ほどにものを言う』とはこれだ。

「起こしたんだよ、証が、爆睡してたから。そしたら、いきなり飛び退いて…俺だってびっくりしたんだからな」

 言いながら、『爆睡』は流石になかったか、と思う。せめて『熟睡』とかだったかな。

 どうでもいいことだろうと思っていたのに、硝子は何かに気付いたようだった。

「起こした…って、どういう風に?」
「え?そりゃまあ普通に、『起きろよー』って。こう…肩を揺すってさ」

 硝子は『ああ…』と意味を持たない声を溢した。なんだかとても清々しい表情のような、拍子抜けしただけのような。

 例えば、1時間悩んで解けなかった数学の問題の答えを教えてもらったけど、そのからくりが余りにも簡単なものだった…という時も、こんな顔をするのだろう。

『なんだ、そういうことか』とか『こんな簡単なところに、どうして気付けなかったんだろう』という風に。
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