学園の通り魔
「羨ましいんなら、その壁を崩せばいいんじゃないの?」

 道は緩やかな下り坂に入った。俺たちのすぐ横を、自転車に乗った男子生徒が追い越していった。

 俺の素朴な疑問に、硝子は首を振った。

「そうするわけにもいかないから、今みたいになってるの。証は…人に触られることを極端に拒む。

 …聞いたわけじゃないけど、多分過去に何かあったんだと思う」

 そうか。だからあの時、証は…。

 頭の中に、恐怖にまみれていた証の顔が蘇った。

「触られるのが嫌で、人と関わるのを避ける。人との関わりを築かない為に、人と話すことを避ける。話す機会ができないように、寝てるんだと思う」

 ああ。

 俺は何か、自分でも気付かないうちに証に酷いことしてしまったんじゃないかって、ずっと不安だった。

 責任逃れできたような気がしただけかも知れない。あるいは、証のあの顔の理由が知れて、ほっとしているのかも知れない。

 それでも今、なんだか安心している。

 押しボタン信号機のボタンを押すと、小さい画面に『しばらくお待ち下さい』と表示された。
 その後、『しばらく』も経たないうちに信号が青になる。

「でも…」
 横断歩道を渡りきってから、硝子が言った。

「でも、本当に人との関わりを避けたいなら、根本的な話、そういう場所に行かなきゃいいわけじゃん。

 …多分無理だろうけど」

 自信無さげに付け加えた硝子だけど、俺にはその言わんとすることが理解できた。

 確かにそうなのだ。

 人と関わることが嫌なら、わざわざ高校なんかに通う必要もない。証はどうせ一日中寝ているのだから。

 それが面倒な受検までして、毎日通っているのだから、それなりの理由がないとおかしいのだ。

 証の中で『人と関わらないこと』以上に優先するべき何かが、あるに違いない。
 しかし、硝子の意見は俺とは少し違っていた。

「だから、私考えてみた。証が学校に来る理由」
 硝子が急に足を止めた。少し遅れて止まった俺は、硝子の方を振り返る。

「それってさ、克服、したいんじゃないのかな。人と話すことや、人と関わることや、何より『触れられる』っていうことに対する恐怖を」

 硝子が出した答えは、『人と関わらないこと』自体が、優先するべきことではない、というものだった。

 言われてみれば、それも確かにそうだ。

 だが、証と話してみた俺の率直な感想は、『話しにくい』だった。

 あれが、克服しようという努力の結果だと言うのか。
 だとするとひどいもんだ。

 真相は、俺や硝子がどれだけ悩んだってわからないと思う。

 だってこれは、証の問題だ。

 でも、かといって悩むことをやめる気は起きなかった。
 俺の中で、なんだか不思議な感情が芽生え始めたようだ。

「きっと証は、まだ隠してる。

 本当の自分を…でも本当は、『誰とも関わりたくない』なんて思ってないはず」
「うん」
 硝子の言葉を、口の中で反芻する。

 そうだよね。

「自分で付けた枷…証に壊せないなら、俺たちが壊そうよ」

 これは、『証の恐怖の克服を、手助けしてやろう』みたいな下手な正義感ですらない。

 ただただ純粋な、好奇心だ。

 あの人の笑った顔が、見てみたい。
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