学園の通り魔
 誘惑の悪魔は最強だった。

 授業が終わり、みんながそれぞれの話に夢中になっているのに、証は全く起きる気配を見せない。
「片城さん…?」

 どうしてだろう。俺、また話しかけてる。

 日常会話くらいの声量で呼んでみたが、反応なし。どこまで本格的に眠っているのだろうか。

 そんな風に呆れ返りながらも、話しかける俺も俺だけどね。

「おーい、次移動なんですけど?」
 肩を揺すると、ようやく瞼がピクッと動いた。

「ねえ…」
 俺が、改めて話そうとした瞬間だった。

 証の目が大きく見開かれたかと思うと、ガコン、大きな音をたてて証が椅子から飛び退いたのだ。

 その身体を小刻みに震わせ、目を泳がせ、証は何かを言おうと必死のようだった。しかし、言葉にならないまま、ただ息だけが口から漏れる。

 怖い。そう思われている、俺が、証に。

 クラス全員の注目を浴びていることに気付くまでに、5秒くらいかかった。
 その人たちが興味を失って、それぞれに話を再開させると、あっという間に何事もなかったかのような日常的がやがやが教室を埋めた。

 俺は、何をしたのだろう。

 証を恐怖に陥れる、何を。
 何が何ともわからないまま、ただ俺は、とりあえずこの人の気の高ぶりを鎮めようという本能に従った。

「ごめ…」
「ちょっと、とっ、トイレ」
 ひきった笑顔で証は嘘をついた。

 俺を拒んだ。
 自分を守った。
 多分証も、本能のままに動くしかなかったんだ。

 俺が怖いから、逃げたんでしょ?

 教室のドアを開けて出ていく証の背中に、俺は問いかけた。
 止めなかった。俺には止める勇気がなかったんだ。

 その次の授業に、証は来なかった。

「竜崎、すまんがちょっと探しに行ってくれんか」
「わかりました」
 先生に頼まれて、学級会長の竜崎硝子が席を立った。

 探すって、簡単に返事したけどさ、竜崎さん。あても無いのに大変だよね。
 俺は他人事のように、ぼんやりと考えていた。するとすかさずもう一人の俺が、突っ込みを入れる。

 何言ってんだ、お前が探しに行かせるような状況に証をしたんだろ。

 あ、そうか。俺か…。

 それでも俺は、事実と言うべきそれを呑み込めずにいた。だって、俺はわからないんだ。

 何をした?俺は証に何をしたんだ。
 話しかけた。肩を揺すって起こした。それだけだろ。

 10分くらい後、学級会長が戻って来た。しかし、その後ろをどれだけ見ても、証の姿はなかった。

「保健室、でした。調子悪いみたいです」
「そうか、ご苦労、ありがとな」
「いえ」

 そして、授業がいつも通りに進んでいった。いつも通りだ。この教室のどこを見渡そうと、証が寝ている姿がないこと以外は。
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