雨宿りの法則
前よりも髪が少し伸びていた。
顔つきも大人っぽくなっていた。
心なしか体格も大きくなっていた。
だけど、あの瞳は変わっていなかった。
雲一つない青空のように澄み切ったあの瞳。
見つめ返すことが出来なかったあの瞳。
胸がギシッと軋んだ。
「帰ったわよ、彼」
雪子さんが声をかけてくるまで、私は診察室の真ん中でただぼんやりと立ち尽くしているだけだった。
ハッとして振り返る。
「彼が書いた問診票、確認して。もしも本当に会いたくない相手なら、明日仮に彼が消毒に来たら顔を合わせないように配慮するから」
彼女に手渡された淡いピンク色の問診票には、予想通りの名前が記されていた。
『笹川 敬佑』
分かってはいたけれど、間違いなかった。
職業欄には、自動車整備士の文字。
「整備士になったんだ……」
少しホッとした。
そんな私に雪子さんが処置台を片付けながら尋ねてきた。
「響ちゃんがあんなに動揺したの初めて見たから驚いちゃった。まさか元カレ?友達ってわけでもなさそうね」
「元カレなんかじゃないです」
「なにか深い事情でもあるの?」
「…………プロポーズされたことがあるんです、彼に」
「━━━━━えっ!?」
雪子さんの上げた大きな声に重なるように、受付からも全く同じ声。
なるほど、受付で真美ちゃんも聞き耳を立てていたのか。
そりゃ気になるよね、あんな態度を取っていれば。
「もう、何年も前の話です」
言いながら、時効だよねと言い聞かせた。
あのプロポーズは、彼の気の迷いだったんだと思う。
外に出たら、雨が激しく降っていた。ザーザーと音を立てて、飛沫を上げて。そういえば彼と初めて会った日もこんな雨の日だった。
雨が降ると決まって彼を思い出していたはずなのに。
すぐに彼だと分からなかった自分が腹立たしかった。
今の私は、彼にどう見えたのだろう?