雨宿りの法則


怒涛の激務がようやく落ち着いて、器具の片付けを始めた頃には時計の針は夜の8時を差していた。

お人好しの先生は、時間外にやってきた患者さんも出来る範囲で診てしまう。
従業員としては帰る時間がさらに遅くなってしまうし、あれもこれも引き受けられたのでは困るのだけれど、去り際の患者さんが感謝いっぱいの笑顔で「ありがとう」と言ってくれるのを見ると、まぁいいかと思ってしまったりする。


そんな山路先生のもとで働いて、もう3年半になる。


「森田さん、まだ残りますか?」


備品の補充をしている私に、事務の真美ちゃんが声をかけてきた。私より7歳年下の、まだまだ若い女の子だ。
いつもニコニコしていて、患者さんにも丁寧にしっかり対応するので、信頼のおける仲間のひとりでもある。


「あと少しだけ。鍵はかけて帰るから、先に上がって」

「何かお手伝いしますか?」

「ううん、大丈夫。もう終わるから。ありがとう」


真美ちゃんはお疲れ様でした、と微笑んで受付の電気を消して更衣室へと向かっていった。


こういう時、ちょっとだけ迷う。
「お手伝いしますか?」と言われて、素直に甘えるべきか。
別に1人でやるのは嫌じゃないし苦でもない。
でも、せっかく厚意で言ってくれているのにそれをあっさり断るのは失礼にならないかと。

山路クリニックに勤めてから、仕事仲間との距離感に悩むことが多い。
一歩踏み出せないというか、近づけないのだ。無意識に私が壁を作ってしまうみたいで。

もう1人のベテラン看護師の雪子さんには、「もう少しウェルカム感が欲しいのよね」と言われたことがある。
ウェルカム感とは何なのか聞き返したら、笑い飛ばされたけれど。


私に足りないのは、人とのコミュニケーション?
それとも笑顔?

今の私には分からなかった。


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