雨宿りの法則
いつもはバタついている時間帯の診察室で、のんびり平和に過ごしていることがちょっと嬉しかったりして。
私と雪子さんはすっかり仕事モードから外れて、ボソボソと世間話をしながら片付けを進めていった。
すると、事務の真美ちゃんから受付からひょこっと顔を出して「ちょっといいですか?」と困ったように眉を寄せた。
真っ先に雪子さんがそばに近づき、真美ちゃんに
「何かあったの?」
と尋ねると、彼女は声を抑えて内緒話でもするように右手を口元へ添えた。
「腕から流血した男性が来てるんですが……」
「えっ!!」
私も雪子さんも目を丸くした。
先生が不在の時に来られてしまっては困る。
「流血って救急行った方がいいんじゃないの?」
「そう伝えたんですけど、とりあえず止血してくれればいいからと……」
「先生もいないし、私たちじゃどうにも出来ないわよ」
雪子さんがため息をついてどれどれと真美ちゃんに促されながら受付へと出ていく。
山路先生がいない時は、基本的に雪子さんの指示に従って動くことになっている。彼女はこのクリニックに勤めて一番の古株で、先生からの信頼も厚い。
おそらく雪子さんはまだ診察をしている違う病院に行ってもらうよう患者さんに提案すると思うけれど、万が一怪我の程度によっては応急処置も必要かもしれない。
念のため、と外科の応急処置セットを手元に手繰り寄せて中身をチェックした。
そう時間が経たないうちに雪子さんは診察室へ戻ってきて、応急処置セットを用意している私にすぐさま声をかけてきた。
「大した怪我じゃなさそうよ。血もすぐ止まりそうだから、ここで簡単に処置しちゃいましょ。そのまま帰すにはちょっと痛そうな怪我だから」
「縫合はしなくて大丈夫そうなんですか?」
「血が止まったらすぐに仕事に戻りたいって言うのよ。縫合は必要そうだから、あとで夜間診療の病院を教えておかないとね」
「そんな状態で仕事なんて……」
「本当よね。でも本人がそれでいいって言うんだもの。爽やかな見た目の若者のくせに頑固だわ」
お手上げのポーズをとっておどける雪子さんを横目に、私は「はぁ」と曖昧な返事をしつつ処置台を引っ張り出す。その上に応急処置セットを載せた。
「どこで処置しますか?」
「待合室に行きましょ」
雪子さんにそう言われ、私はうなずいて処置台を押しながら2人で診察室を出た。