もう一度だけでも逢えるなら
 次の駅で、多くの乗客が乗ってきた。

 向かいの優先席の真ん中に、男子高生が座った。その男子高生もスマホを見ている。

 つり革に掴まっている人。手すりに掴まっている人。窓際に立っている人。車内はだいぶ混んでいる。

 見慣れた朝のラッシュ風景。

 次の駅で、年配のおじいさんが乗ってきた。見た感じ、七十五歳くらい。向かいの優先席付近に立っている。

 水樹に教わったとおり、少し待つ。誰かが気づいて、席を譲る可能性がある。

 一分ほど待ってみたけど、誰も席を譲ろうとしない。みんなスマホを見ている。

 混んでいる車内で声を掛けるのは、少なからず勇気が要る。

 ここで勇気を出さなければ、ただの傍観者。悪くいえば、ただの偽善者。

 おじいさんに席を譲るため、私は席を立った。

「おはようございます」
 後ろから、おじいさんに声を掛けた。

 おじいさんは、私の方に振り向いた。

「よろしければ、あの席に座ってください」

「お気持ちは嬉しいのですが、健康のために立つようにしているのです」

「あ、そうなんですか」

 思いもよらぬ展開。まさか断られるとは思っていなかったから。喜んで座ってくれると思っていたから。

 周りの乗客の視線を感じる。恥ずかしくてたまらない。どんな顔をしていいのかわからない。

 私が座っていた席は、空いたままになっている。

 誰も座ろうとしない。私が座りにくくしたようなもの。

 平然を装うために、スマホの画面を見た。

 これじゃあ、いつもとだいだい同じ。

 なんとも複雑な気持ちのまま、つり革に掴まって、満員電車に揺られた。
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