ピエリスの旋律

小さなカードに、「いつもありがとう」とメッセージを書いて忍ばせた。
自分の名前を書く勇気は、どうしても持てなかった。

結局謎のメッセージ付きのカードだけを貼り付けて、送り主不明という気持ち悪い形で渡すことになってしまったけど。
しかも直接ではなく、尾瀬くんが鞄を置いたまま席を離れている隙に。

教室に誰もいなくなるまで自習をするふりをして待ってるなんて、なかなか情けない。
恥ずかしくても格好悪くても、彼に手渡せれば良かったんだけど。

今そこにはいない、彼の横顔を思い出す。
問題と向き合う真剣な眼差しと、深く考える時に出る、頬杖をするクセ。
決まって左腕でするものだから、私はいつもその綺麗な横顔を盗み見ていた。


直接渡せなかったけど、もういいや。
一応昨日は、直接手渡したんだし。せがまれてだけど。

もやもやが半分、達成感が半分、というような少し複雑な気持ちを抱えながら席を立った。
彼が戻る前に帰ってしまおうと思って、踵を返す。

と、教室の後ろの、開け放たれたドアの辺りに女の子が立っていた。
たしか…同じ学年の子。こちらをじっと見ている。

あら?もしや尾瀬くんにご用かしら?
その視線は、彼の座席を目指しているようにも感じて、私は早く立ち去った方がいいかもしれないと、前のドアから教室を出るために女の子に背を向けた。


「萩原栞さん?」


でもその女の子がいるはずの方向から、私を呼びかける声。
驚いて振り向くと、彼女はもう一度ゆっくりと私の名前を呼んだ。

こちらをじっと見据えながら、教室に足を踏み入れる。
私の前まで来てもなお、私から視線を外さない。
とてもじゃないけど、好意的な感情が浮かぶものとは思えない。

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